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T-2 Hヴァチカン博物館・・・地下鉄A線「オッタヴィアーノ駅」から徒歩10分
下車駅から博物館までは分かりやすい道ですし、観光客がゾロゾロと同じ方向に歩いているので迷うこともなく11;15に到着。
ヴァチカン市国の城壁沿いに博物館の入口と出口が並んでおり、出口の上にはミケランジェロ(左)とラファエロ(右)の彫像が飾られています。
この著名な博物館は世界中から観光客が訪れるので年中大混雑していて、フリーで行くと入館待ちで長蛇の列に並ぶことになりかねず、ガイドブックなどでは事前に予約を取っておくことを勧めています。
予約をすれば切符売り場が別なのでスムーズに入館できるということなのですが、入館料16ユーロ(≒2,400円)以外に予約料を4ユーロ(≒600円)も取られますし、朝一番ならともかく日中の訪問予定だと予約時間に縛られてその前後の行動が制限されてしまうことになって不便です。
1月初旬という閑散期だし平日だし昼食時間帯だし、多分予約無しでも大丈夫だろうとタカをくくって行ったのですが、案の定ガラガラでまったく並ぶことなくスムーズに入館できました。
たまたま運が良かっただけかもしれませんし、少なくとも大きな団体がいたらこうはいかなかったでしょうね。
セキュリティチェックのゲートをくぐり、ここではローマパスの特典が利用できないので窓口でチケットを購入して中に入ります。

この広大な博物館は特に人気の高い「システィーナ礼拝堂」以外にも、彫刻作品が集められた「ピオ・クレメンティーノ美術館」、名画がいっぱいの「絵画館(ピナコテーカ)」、ラファエロの大作が4室にも亘る「ラファエロの間」など見どころ満載です。
4年前にツアーで訪れた時は「システィーナ礼拝堂」に直行でその他は素通りでしたので、今回はその穴埋めで再訪したものです。
まずは博物館の右手にある「絵画館」へ。
入口手前に「ラオコーン」と「ゼウス像」がありますがいずれもレプリカで、オリジナル(といってもこの2つの像はギリシャの彫刻を古代ローマ時代に模刻したローマン・コピーと呼ばれるものです)は館内に展示されています。
入口を入るとすぐ右手に今度はミケランジェロの「ピエタ」のレプリカがありました。
サン・ピエトロ大聖堂内のオリジナルと比べるとガラスの防壁もないしすぐ近くで見られる点は良いのですが、像のすぐ後ろに大きな窓があるためにどこから見ても逆光になってしまうのが残念なところです。
博物館出口 ゼウス像 ピエタ像

カメラに収めて来た作品のうち、解説パネルや帰国後ネット情報で調べた結果などで作者名が判明したものは以下の通りです。
(美術に関しては全くの門外漢ですので感想は控えます)
1. ジョット・ディ・ボンドーネ(1267-1337)とその弟子たち 「ステファネスキの三連祭壇画」 1320年頃作
  (
ジョットは後期バロックを代表する画家で、“近代絵画の祖”といわれている)
 この祭壇画は当初サン・ピエトロ大聖堂に設置され、中央パネルは信者側に「玉座の聖ペトロ」、教皇側に「玉座のキリスト」となっていました。
 ジョットの自筆は表裏の中央パネルと、教皇側下段中央の聖母子のみとされています。
2. フィリッポ・リッピ(1406-1469) 「聖母戴冠」 1444年頃作
  (
リッピは「春」や「ヴィーナス誕生」で有名なボッチチェリの師)
1. ステファネスキの三連祭壇画 (左)信者側、(右)教皇側 2. 聖母戴冠

3. メロッツォ・ダ・フォルリ(1438-1494) 「奏楽の天使」 時期不明
4. 〃 「ヴァチカン図書館司書に任命されたバルトロメオ・プラティナ」 1477年頃作
5. ベノッツォ・ゴッツオリ(聖母の帯を受け取る聖トマス」 1450年作
 
3. 奏楽の天使 4. ヴァチカン図書館・・・ 5. 聖母の帯を受け取る聖トマス

6. アルメリコ・ヴェンチュラ(16世紀前半に活躍 詳細不明) 「受胎告知」 1522-1524年作
7. ヴィヴァリーニ兄弟(15世紀中頃の画家 詳細不明) 「祭壇画」 1464年作
8. ベルジーノ(1448-1523 本名ピエトロ・ヴァンヌッチ) 「聖母子」 時期不明
  (
ベルジーノはヴァチカン・システィーナ礼拝堂の壁画装飾にも関わっている)
6. 受胎告知 7. 祭壇画 8. 聖母子

9. ラファエロ(1483-1520) 「キリストの変容」 1518-1520年作
10. 〃 「フォリーニョの聖母」 1511-1512年作
11. 〃 「牢獄の聖パウロ」を描いたラファエロの戯画をベースにしたタペストリー 作者・時期等不詳
9. キリストの変容 10. フォリーニョの聖母 11. 牢獄の聖パウロ

12. ラファエロとその弟子たち 「聖母戴冠」 1505-1525年作
 
(これ以外にラファエロ自身による「聖母戴冠」があったはずだが見落としてしまったらしい)
13. レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452-1619) 「聖ヒエロニムス」 1482年作
(未完の作品とされる)
 (ヒエロニムスはラテン語で、英・仏語のジェローム、伊語のジローラモと同一)

14. ジョヴァンニ・ベッリーニ(1432頃-1516) 「キリスト哀悼」 1471-1474年作
12. 聖母戴冠 13. 聖ヒエロニムス 14. キリスト哀悼

15. ティツアーノ・ヴェッチェリオ(1490頃-1576) 「聖母子と聖人たち」 1520-1525年作
16. フェデリコ・バロッチ(1528-1612) 「祝福されるミシェリーナ」 1606年作
 
(ミシェリーナは貴族の夫と死別後全財産を奉仕団体に寄贈して宗教生活を送った14世紀の女性)
17. ジローラモ・ムジアーノ(1532-1592) 「ラザロの復活」 1555年作
15. 聖母子と聖人たち 16. 祝福されるミシェリーナ 17. ラザロの復活

18. カラヴァッジョ(1571-1610) 「キリストの埋葬」 1600年作
   
(絵画の中の女性は右が聖母の異父妹クロパスのマリア、中央がマグダラのマリア、左が年老いた聖母マリア。男性は右がニコデモ、左がアリマタヤのヨセフで、処刑後のキリストの遺骸を引き取って埋葬したユダヤ人
19. グイド・レーニ(1575-1642) 「聖ペテロの磔刑」 1604-1605年作
20. グイド・レーニ工房 「キューピッドに捕まるフォルトナ」 17世紀前半の作品
18. キリストの埋葬 19. 聖ペテロの磔刑 20. キューピッドに・・・

21. ドメニキーノ(1581-1641) 「聖ヒエロニムスの聖体拝領」 1614年作
22. ピエトロ・ダ・コルトーナ(1596-1669) 「ゴリアテを殺すダヴィデ」 時期不明
23. 〃 「アッシジの聖フランシスの幻視」 1641年頃
21. 聖ヒエロニムスの聖体拝領 22. ゴリアテを殺すダヴィデ 23. アッシジの聖フランシスの幻視

24. ニコラ・プッサン(1594-1665 フランスの画家) 「聖エラスムスの殉教」 1629年作
25. ルーベンス工房 「マントヴァ公国ヴィンチェンツォ1世の神格化」 17世紀初頭作
 
  (ピーテル・パウル・ルーベンス(1577-1640)はスペイン領ネーデルランドの画家)
26. アンソニー・ヴァン・ダイク(1599-1641 ネーデルランドの画家) 「トマス・フランシスの肖像」 時期不明
24. 聖エラスムスの殉教 25. マントヴァ公国・・・ 26. トマス・フランシスの肖像

27. バルトロメ・エステバン・ムリーリョ(1617-1682) 「聖ピエトロ・アルブエスの殉教」 1668年作
   (
ムリーリョはディエゴ・ベラスケスとともに17世紀スペイン・バロック期絵画を代表する画家)
28. ジュゼッペ・マリア・クレスピ(1665-1747) 「聖家族」 1735-14740年作 
29. ベルニーニ 「天使像」の習作(石膏などで作る原型、試作) 1673年
27. 聖ピエトロ・アルブエスの殉教 28. 聖家族 29. 「天使像」の習作

次に、サン・ピエトロ大聖堂のドームが見えるテラスを経由して「ピオ・クレメンティーノ美術館」に入りました。
混み具合を見て一番奥の「八角形の中庭」から逆回り、ここにはいくつもの彫像が展示されています。
1. 「ラオコーン」 AD1世紀にロードス島のギリシャ人が制作したという記録が残っている
  オリジナルはブロンズ像で制作されており、後にローマにおいて大理石でこの複製が造られた
2. 「ベルヴェデーレのアポロ」 帝政ローマ時代に制作された彫像の模刻
大聖堂のドーム 1. ラオコーン 2. ベルヴェデールのアポロ

3. 「ティグリス」 ティグリス川に見立てた男神の持つ壺から水が出る仕掛け
  壺の中にはライオンのような彫刻が施されているが、知らなければ見過ごしてしまいそう
4. 「フェリックスのヴィーナス」 大元はBC4世紀のギリシャの彫刻家プラクシテレス作「クニドスのヴィーナス」で、ここから派生して後世に様々なヴィーナス像が作成されたとされ、これもそのひとつ

この中庭には他に「ヘルメス」の像があったはずですが写真を撮り洩らした様子、また、「ペルセウス」(1800年頃のアントニオ・カノーヴァの作品)は残念ながら修理中でテントで覆われてしまっていました。

3. ティグリス 4. フェリックスのヴィーナス

中庭から建物の中に入ると第W室「動物の間」があり、夥しい数の動物の彫像が飾られています。
続く第X〜第Z室は閉鎖中でした。
第V室「ミューズの間」
ギリシャ神話の文芸を司る女神ムーサ(musa)は英語や仏語ではミューズ(muse)となり、これが後に音楽(英語のmusic、仏語のmusique、伊語のmusica)や美術館(同museum、musee、museo)の語源となったとされています。
この部屋の名前の通り楽器を奏でる女神たちの像が並んでいるのですが、どういうわけか部屋の名前にまったく似つかわしくないマッチョな彫像「ベルヴェデーレのトルソ」が中央に据えられていました。
この石像はBC1世紀のギリシャの彫刻家アポロニオス作とされ、ミケランジェロの作風にも影響を与えたということからガイドブックでは必見の作品と紹介されていて、女神たちの像よりこのトルソ像の廻りに観光客の輪ができてしまっていました。

第U室「円形の間」
パンテオンを真似た直径22mの大きなドーム型天井を持つ大広間で、中央には赤い斑岩の一枚岩で造られた直径13mの水盤、また、壁際にはヘラクレスのブロンズ像をはじめ彫像や胸像が並んでいます。
第T室「ギリシャ十字の間」
縦軸と横軸が同じ長さのギリシャ十字と同じ形をした部屋で、ここにはローマ帝国皇帝コンスタンティヌス(在位306-337)の母エレナと娘コンスタンティアの豪華な石棺が置かれていますが、目を引いたのは床のモザイク画でした。
中央にギリシャ神話の女神アテナの胸像が描かれているのですが、AD1世紀のものという解説と3世紀のものという解説があり、どちらが正しいのかは分かりません。
ベルヴェデーレのトルソ ミューズの間の天井画 床のモザイク画
円形の間 ドーム 〃 水盤 〃 ヘラクレス像

この後前述カノーヴァ作「ローマ教皇ピウス7世像」がある「新回廊」へ行くつもりで館内案内図通りに「キアラモンティ美術館」(ローマ時代の彫刻を数多く展示)の100m以上もあろうかという長い通路を歩いて行ったのですが、結局回廊に出る通路が見つからず空しく後戻り。
ヴァチカン博物館は物凄く広いうえに建物が入り組んでいて、でも館内案内看板は各美術館名と矢印が示されているだけで、現在地と目的地が同時に分かる見取り図がないので苦労します。
次の「ラファエロの間」と「システィーナ礼拝堂」に行くには「燭台のギャラリー」、「タペストリーのギャラリー」、「地図のギャラリー」と続く300mの直線回廊を歩いて行くことになります。
ギャラリーそれぞれに展示品が置かれ、側壁や天井の装飾も見応えがあるので観光客はゆっくりと歩いているのですが、私は4年前に通った場所なので写真も撮らずに先を急ぎました。

回廊の先を左に曲がった「ラファエロの間」は4室に分かれていて、それぞれ壁と天井一面にフレスコ画が描かれておりまさに圧巻です。
ここはローマ教皇ユリウス2世(在位1503-1513)が当時弱冠25歳のラファエロに制作を依頼、1520年のラファエロの死後にジュリオ・ロマーノ(1499-1546)やジャン・フランチェスコ・ペンニ(1496-1528)といった弟子たちの手によって全体が完成しており、ラファエロ自身が直接描いたものは第2室と第3室に集中しています。
各部屋とも修繕用の櫓がいくつも組まれているので傑作のすべてを見ることができませんが、これはやむを得ないところです。

1.「コンスタンティヌスの間」
名前の通り前述コンスタンティヌス帝の生涯のエピソードを題材とした壁画が四方を囲んでいます。
「十字架の出現」と「ミルヴィオ橋の戦い」は312年の内戦時の様子を描いたもの。
「コンスタンティヌスの寄進状」は“ローマ教皇に領地を寄進する”という8世紀に偽造された書簡がテーマ、また、「コンスタンティヌス帝の洗礼」は死の床に就いた皇帝の様子を描いたもの。
この部屋は弟子たちの中でもとりわけ前述ジュリオ・ロマーノが師の構想をもとに制作したとされています。
ミルヴィオ橋の戦い コンスタンティヌス帝の洗礼 (天井画 題名不詳)

2.「ヘリオドスの間」
ヘリオドスは古代ギリシャの作家のことではなく、旧約聖書に登場するシリアの宰相を指しています。
「神殿から追放されるヘリオドス」はその旧約聖書の一場面、「法王レオとアッティラ王の対面」は5世紀に起きたアッティラ率いるフン族の侵攻に対してローマ教皇レオ1世(在位440-461)が停戦・和平を取り付けたという伝説(史実?)の場面を描いたもので、いずれもその大部分は弟子たちの手によるものです。
「ボルセーナのミサの奇跡」はローマ近郊の町でミサの最中に起きた奇跡の逸話をテーマにしたもの、また、「聖ペテロの解放」はヘロデ王に捕えられたペテロが神の力で出獄できたという新約聖書の場面を描いたもので、この2つはラファエロの直筆とされています。
神殿から追放されるヘリオドス 法王レオとアッティラ帝の対面 聖ペテロの解放

3.「署名の間」
前述ユリウス2世の書庫として造られ、この部屋で重要書類への教皇署名が行われたことから命名された部屋。
ラファエロが1508年から3年の歳月を費やして完成、ここで見られる絵画の殆んどが自筆によるものです。
教皇の書庫らしく絵画のテーマや命名は、ギリシャ神話でアポロンとミューズが住んでいたという「パルナッソス山」、神の恵みに対する祈りの場面を描いた「聖体の論議」、最も重要な徳目を意味する「枢要徳」、そして一番有名な「アテネの学堂」となっています。
「アテネの学堂」には古代の科学者や哲学者が描かれ、同時にその人物にルネサンス期を代表する画家を重ね合せるという趣向が凝らされています。
例えば下の中央の写真で真ん中左側の赤いマントの男性はプラトン(同時にダ・ヴィンチ)、右側の青いマントの男性はアリストテレス(−?−)、手前の机に肘をついている男性はヘラクレイトス(同時にミケランジェロ)、といった具合で、また、右側の写真の右端手前2人目の黒い帽子の男性は古代ギリシャの画家アペレス(同時にラファエロ自身)です。
この部屋の天井画については多くが弟子たちによるものですが、「聖体の論議」の写真左上に偶然写っていた「アダムとイヴ」の部分はラファエロ自身の作とされています。
聖体の論議 (左上にアダムとイヴ) アテネの学堂 〃 (拡大 右端にラファエロ

4.「火災の間」
9世紀にヴァチカンの近くで起きたという大火災の様子を描いた「ボルゴの火災」に因んで名付けられた部屋。
他の絵画は、5世紀のサラセンとの海戦を描いた「オスティアの戦い」、AD800年にフランク王国カール大帝(在位768-814)がヴァチカンを訪問しローマ教皇レオ3世(在位795-816)が帝冠を授けたという史実に基づいた「カール大帝の戴冠式」、そのレオ3世が自身に降りかかった嫌疑(姦通?)を晴らす宣誓の場面「レオ3世の宣誓」です。
カール大帝はこの戴冠により「西ローマ皇帝」を号しましたが、東ローマはこれを承認しなかったという歴史があります。
「ボルゴの火災」はラファエロ自身またはラファエロの下絵に基づいて前述ジュリオ・ロマーノが仕上げたといわれていますが、他の3作はラファエロの下絵に基づいて弟子たちが描いたものです。
ボルゴの火災 オスティアの戦い カール大帝の戴冠式

「システィーナ礼拝堂」に向かう途中「ウルバヌス8世礼拝堂」と、多分「現代キリスト教美術コレクション」と思われる部屋を通り抜けました。
どちらもガイドブックなどでほとんど触れられていないので、何枚か写真は撮ったものの作者や作品名は帰国後に情報をネットから探し出すしかありませんでした。
「ウルバヌス8世礼拝堂」にあった「キリスト降架」を描いた絵画はコルトーナ作という記事をやっと見つけたのですが、その1件だけですので真偽のほどは不明です。
また、この部屋の天井には蜂をあしらった紋章がありましたが、既述の通り蜂はウルバヌス8世やその出身母体であるバルベリーニ家のシンボルです。
ただ、これを支えている天使たちの顔は妙にリアルで、かわいいどころかむしろ不気味、何かエピソードでもあるのでしょうか。
キリスト降架 天井装飾

「現代キリスト教美術コレクション」にはダリやマティス等20世紀を代表する画家の作品が飾られているのですが、私は現代美術はあまり興味がありませんし先を急いでいて時間が惜しい(素通りするほうが本当はもっと惜しい?)のでほとんど足を止めずに通り過ぎました。
撮った写真は「考える人」(フランスの彫刻家ロダンが1902年に制作した代表作。ここで目にするとは思ってもいなかったのですが、帰国後調べたらこの像はブロンズ製なので世界に30体以上ものオリジナルがあり、これもそのひとつなのだそうです)、一風変わった作風で目に止まった「マドンナ」(ルーチョ・フォンタナによる1956年の作品)、「磔」(ヘラルド・ドットーリによる1927年の作品)だけでした。
考える人 マドンナ

「システィーナ礼拝堂」は「最後の審判」、「創世記」ほか天井・壁を埋め尽くすミケランジェロの超大作を見上げ続ける人たちでいっぱい、「4年前にも見ているし、コピーものとはいえ徳島の大塚国際美術館でも2度見ているし」ということで割り切って10分で切り上げました。
ヴァチカン博物館の中でここだけは撮影禁止、大声での私語さえ厳禁です。
この礼拝堂は奥の左側の扉から出ると「ヴァチカン図書館」などを通って博物館の正面出口(入口の隣)に、右側の扉から出るとサン・ピエトロ大聖堂に直接行けるようになっています。
外部から大聖堂に入るためにはセキュリティチェックの大行列に並ばなければなりませんが、博物館から入る場合は既に入館時にチェックを受けているのでその必要が無くてスムーズです。
ただし、入館時に大きな荷物をクロークに預けたりオーディオガイドを借りたりしている場合はいやでも正面出口まで戻らなければならないので要注意です。


(以下次ページに続く)

 
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