事前準備
このツアーではローマ滞在は実質3日半、そして朝食だけホテルのバイキングがセットされていて、昼食、夕食、日中の行動全てフリーとなっています。
前述のとおりオプショナルツアーが別に用意されていますが、今回は一切それには参加せずに過去2回の訪問で見逃している教会と美術館を徹底的に回ることに決めました。
ローマ市内には大小3,000以上もの教会があるといわれますが、普通の観光ルートには入っていないような小さな教会でも著名な作家の美術品を所蔵している場合が結構多く、また、世界的に有名な「ヴァチカン博物館」以外にも大きな美術館がいくつかありますので、出発までに予め綿密な行程表を作っておくことにしました。

最初に、「地球の歩き方・ローマ編」と「るるぶ・イタリア編」、それに前回のイタリア旅行で購入してきた市街ガイドブックの3冊を参考にしながらまずは訪問したい教会と美術館の選定から始めます。
次に、ネットで選定先のHPやフリー百科事典Wikipedia、それと過去の投稿旅行記などを読み漁って、選定した訪問先の更に詳しい情報を収集します。
特に原語版のWikipediaには日本語版に載っていない小さな教会や人物なども殆んど掲載されていますし、情報量も遥かに豊富なので大変役に立ちます。
ただし、Google翻訳機能を使って何とか解読しようとするのですが、イタリア語は英語と文法が違うのか直訳では意味が全く分からないケースも続出、辞書も持っていないのでかなり根気のいる作業になりました。
また、美術館自身のHPには所蔵作品が詳しく紹介されていたりするので、これらを参考に事前に予備知識を持っておくと重要作品の見落としリスクを軽減する効果が期待できます。

こうして訪問対象先を確定させ、それぞれの先での注目点を洗い出したら、次に効率よく回るための順路を策定します。
教会は一部の大教会を除いて通常昼間の12時前後から15〜16時前後まで閉館してしまうので、訪問予定先の教会の開館時間帯を可能な限り調べておかないと折角行っても中を観られないということが続出してしまいます。
「地球の歩き方」にも教会の開館時間帯は一応記載されていますが、情報が古かったり平日でもミサの時間が決まっていたりする場合がありますし、そもそも一部の教会しか記事としても紹介されていませんので、極力目指す教会自身のHPを探してそこで確認するほうが間違いありません。
その上で、真昼の時間帯は美術館か大教会(大教会の場合は殆んど終日開館しています)を回りそれ以外の時間帯で中小の教会を回ることにして、それらの所在地に応じて滞在3日半の中に割り振り、GoogleEarthで効率の良い道順を確認して行程表を作成します。

次に、ローマの場合はテルミニ駅から見て西側の半径2〜3kmの範囲内に殆んどの観光対象が収まっているので、すべて徒歩で移動することも不可能ではないのですが、疲れるし効率も悪いのでできれば地下鉄やバスの交通機関も利用したいところです。
利用できれば便利な地下鉄は2本、トラムは4本しかなくて駅も分かりやすいのですが、問題はバスです。
市内を何十本もの路線が縦横に走っていて停留所も行先もバラバラ、しかも市内は一方通行の道路が多いために上りと下りで道順も違っていたりするので、事前によほどしっかりと調べておかないと気軽に利用することはまず不可能です。
営業しているのはATACという公共交通会社で、そのHPに市内バス路線図が掲載されているので、まずこれを見て目的地付近に何番路線のバスが走っているのかを確認します。
そして、バスの路線番号を入力すると始発から終点までの全停留所名入り路線図と始発駅の時刻表が表示されるページがあるので、ここで目的のバスにはどこから乗っていくつ目の何という停留所で降りればよいのか、そのバスはおよそ何分間隔で運行されているのかを確認します。
最後にGoogleEarthで利用したいバスの停留所の正確な場所を確認(地図上の停留所のアイコンを左クリックするとそこに停まるバスの路線番号が表示されます)、これらをメモして持っていけば何とか利用が可能になるのです。

ただ、訪問先選定にしても交通機関利用にしても、ここまで調べるのには相当の時間と根気が必要、私のように病院通い以外に一年中何一つ予定が無く、しかも放ったらかしにしておいてもこれまた何一つ文句を言わない理解ある(?)伴侶を持つ身でないとなかなかできない作業ではあります。

資料

今回の訪問先ではイタリア・ルネサンス期(14世紀〜)とバロック期(16世紀〜)の建物や美術作品が大半で、同一人物があちこちで建築や作品制作に関わっています。
特に登場頻度の多い人物については以下にまとめましたので、必要に応じてご参照ください。
次ページ以降、下線が付いている人名を左クリックするとこのページの該当箇所にジャンプします。
人名 生〜死 人  物  評
ピエトロ・
 カヴァリーニ

 (画家)
1250〜1330 モザイク画を得意としサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂やサン・クリソゴーノ教会などに作品が残っている。サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂にもモザイク画の大作があったが火災で焼失。
ミケランジェロ・
 ブオナローティ

 (画家・彫刻家・建築家)
1475-1564 ラファエロ、レオナルド・ダヴィンチとともに「盛期ルネサンス3大巨匠」と称せられる芸術家。画家としてはヴァチカン・システィーナ礼拝堂の天井画と祭壇壁画、彫刻家としてはピエタ像やダヴィデ像がとくに有名。建築家としてもサン・ピエトロ大聖堂やカンピドーリオ広場などの設計、建設を手掛けている。
ラファエロ・
 サンティ

 (画家・建築家)
1483〜1520 ルネサンスを代表する画家で、ヴァチカン博物館「ラファエロの間」のフレスコ画が特に有名だが、そのほかにもサンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会やサンタゴスティーノ教会の壁画、さらに宗教画を中心とした油彩画でも数多くの作品を残している。
カラヴァッジョ
 (画家)
1571〜1610 本名ミケランジェロ・メリージ。バロック期を代表する画家で、明暗対比を多用し写実性が高く力強い作風を得意とした。私生活は波乱万丈で、殺人、逃亡、恩赦、別件で再投獄、脱獄のあげく斬首刑に処せられている。
アルノルフォ・
 ディ・カンビオ

 
(彫刻家・建築家)
1245〜1302 上述の画家カヴァリーニや同じくモザイク画を得意としたヤコポ・トリッティなどと同時代に活躍した彫刻家。サン・ピエトロ大聖堂の「聖ペテロ像」、サンタ・チェチーリア教会やサン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂の天蓋などを制作。フィレンツェではむしろ建築家として活躍。
ピエール・
 ル・グロ

 (彫刻家)
1666〜1719 フランスの彫刻家だがむしろローマで活躍。ジェズ教会、サン・ジャコモ教会、サンティ・ニャツィオ教会、サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会などの主要礼拝堂に彫刻作品を残している。今回見損なったが、ラテラーノ大聖堂の身廊を飾る12使徒像の一つも制作している。
アントニオ・
 カノーヴァ

 
(彫刻家)
1757〜1822 イタリアを代表する彫刻家のひとり。ヴェネツィアで頭角を現し20歳を過ぎてからローマに進出して活躍。ロシア宮廷からも認められ「エルミタージュ美術館」には彼の代表作のひとつ「ヘーベー」はじめ数多くの作品が納められている。生まれ故郷のポッサーニョには自ら制作した神殿と墓、そして自身が手掛けた作品群の塑像博物館がある。
ドナト・
 ブラマンテ

 (建築家)
1444〜1514 ルネサンス期を代表する建築家のひとり。55歳でローマに進出しサン・ピエトロ大聖堂やサンタ・マリア・デル・ポポロ教会、サンタ・マリア・デッラ・パーチェ教会などの建築に携わった。
ジャコモ・
 デッラ・ポルタ

 (建築家)
1533〜1602 ミケランジェロの後を継いで完成させたものとしてはサン・ピエトロ大聖堂のドームやカンピドーリオ広場がある。このほかジェズ教会やサン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会建設なども手掛け、また、ナヴォーナ広場の「ムーア人の噴水」や「ネプチューンの噴水」、ロトンダ広場の噴水も制作した。
ドメニコ・
 フォンターナ

 (建築家)
1543〜1607 スイス生まれの建築家。サン・ルイージ・ディ・フランチェージ教会、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂などの建築に関わったほか、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂のシスティーナ礼拝堂設計、サン・ピエトロ広場やポポロ広場のオベリスク立塔、モーゼの噴水ほか噴水制作も手掛けた。
カルロ・
 マデルノ

 (建築家)
1556〜1629 イタリア系スイス人でバロック建築の先駆者のひとり。サン・ピエトロ大聖堂のほかサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会や、後述するボッロミーニとともに自らが埋葬されているサン・ジョヴァンニ・ディ・フィオレンティーニ教会その他数多くの教会建築を手掛けている。
彫刻家のステファノ・マデルノ(1576〜1636)と兄弟という説もあるが確証はない。
ピエトロ・ダ・
 コルトーナ

 (建築家)
1596〜1669 本名ピエトロ・ベレッティ−ニ。イタリア・バロックを代表する建築家のひとり。ただし、教会の中の礼拝堂やファサード改築などが多く、教会自体の作品例は少ない。むしろ画家としてバルベリーニ宮殿の巨大な天井画「神の摂理」など有名絵画作品を残している。
ジャン・ロレンツォ・
 ベルニーニ

 (彫刻家・建築家)
1598〜1680 後述ローマ教皇ウルバヌス8世に「ベルニーニはローマのために生まれ、ローマはベルニーニのためにつくられた」と言わしめたバロック期の巨匠で、彫刻家であると同時に建築家であり絵画も残している。
建築の代表作はサン・ピエトロ大聖堂、サンタ・ビビアーナ教会、サンタンドレア・アル・クイリナーレ教会など。また、ナヴォーナ広場の「四大河の噴水」やスペイン広場の「バルカッチャの噴水」も有名。彫刻はボルゲーゼ美術館所蔵「アポロとダフネ」ほか傑作多数。
フランチェスコ・
 ボッロミーニ

 (建築家)
1599〜1667 ベルニーニと同時代に活躍、サン・ピエトロ大聖堂などでは協同もしていたが後年は強烈なライバル関係となった。曲面を多用した芸術的な建築に特徴。代表作はサン・カルロ・アッレ・クァットロ・フォンターネ教会、サンティーヴォ・アッラ・サピエンツァ教会、サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂など。
前述マデルノとは親戚関係(甥との説も)にあったとされる。
アレッサンドロ・
 アルガルディ

 
(建築家・彫刻家)
1598〜1654 同じくベルニーニと同時代に活躍。ベルニーニの躍動感溢れる彫刻作風に批判的で、古典主義的な穏健な作風が特徴。ジェズ教会、サンティ・ニャツィオ教会、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂などの建築、内装を手掛けている。
カルロ・
 フォンターナ

 (建築家)
1638〜1714 サン・ジャコモ教会を建設したほかサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂やサンタ・マリア・マッダーレナ教会の増改築にも関与。サン・マルチェロ教会のファサードは代表作の一つ。一時ベルニーニやコルトーナの下で製図工として働いていた時期もある。上記ドメニコ・フォンターナとの姻戚関係ははっきりしていない。
カルロ・
 ライナルディ
 
 
(建築家)
1611〜1691 17世紀の主要バロック建築家のひとり。サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂の後陣側を手掛けたほか、ポポロ広場の双子教会、サン・アントニオ教会等多くのローマの教会建築に関与。サンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会は父親のジローラモ(1570〜1655)の後を継いで完成させている。
ジローラモのほうはこのほかセナトリオ宮のファサードやパンフィーリ宮の建設を手掛けた。
ウルバヌス8世 1568〜1644 ローマ教皇(在位1623-1644)。本名マッフェオ・ヴィンチェンツォ・バルベリーニ。教会改革、外交、軍事面で多大な功績を挙げる一方、それが原因となって教皇庁の財源難を招き、また、出身元であるバルベリーニ家一族の過度な重用などで非難も受ける。学問や芸術の振興にも力を注ぎ、特にベルニーニを庇護・助成しサン・ピエトロ大聖堂の改装を手掛けた。また、1633年には第2次ガリレオ裁判で異端の判決を下し地動説を撤回させた。
イノケンティウス10世 1574-1655 上記ウルバヌス8世の次のローマ教皇(在位1644-1655)。本名ジョヴァンニ・バッティスタ・パンフィーリ。前教皇の親族偏重を非難してバルベリーニ家の弾劾を行ったが、兄嫁オリンピア・マイダルキーニに頭が上がらず彼女の圧力で後年は自らも親族重用を余儀なくされる。ベルニーニを引き続き庇護すると共に、同世代のボッロミーニも多用した。


 
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