ローマ1日目 1/8(木) 
H(ホテル)〜@サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂〜Aサンタ・プラッセーデ教会〜Bサンタ・プデンツィアーナ教会〜Cテルミニ駅〜(トラム)〜Dサンタ・ビビアーナ教会〜Eヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場〜(地下鉄)〜Fサンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会、モーゼの噴水、サンタ・スザンナ教会〜Gバルベリーニ広場、サンタ・マリア・デッレ・コンツィオーネ教会〜(地下鉄)〜Hヴァチカン博物館〜Iサン・ピエトロ大聖堂〜Jサンタンジェロ城〜Kサン・ジョヴァンニ・ディ・フィオレンティーニ教会〜(バス)〜Lサンタ・マリア・イン・トラステヴェレ聖堂〜Mサン・フランチェスコ・ダッシージ・ア・リーパ教会〜Nサンタ・マリア・デル・オルト教会〜Oサンタ・チェチーリア教会〜Pサン・クリソゴーノ教会〜(トラム)〜Qサン・カルロ教会〜Rトリニタ・ディ・ペジェグリーニ教会〜(トラム)〜Sヴェネツィア広場〜(バス)〜テルミニ駅〜H(ホテル)
                                       (地図画像はGoogleMap使用) 

T-1 @サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂〜Gサンタ・マリア・デッレ・コンツィオーネ教会
1.今回の旅行は一応ツアーではあるのですがすべて自由行動、ローマ旧市街の教会と美術館に的を絞って“貧乏人根性丸出し”で目いっぱい歩き回って来ました。
自分の備忘録のつもりで建築物や美術作品の制作時期だの作者名だのを羅列していますので、「旅行記」というよりリポートに近いまとめ方になっています。

2.本文中に記載している情報については殆んどWikipediaや他の方々の旅行記などの受け売りで、必ずしも公式文書で確認したものではありませんので、年号や地名・人名の間違いがあるかもしれません。
また、イタリア語読み、ラテン語読み、英語読みなどが入り交じっていますが、修正・統一し切れていません。
なお、本文中の建築家、彫刻家、画家などは特に断り書きが無い限りイタリア人です。

3.写真が多いため各ページとも重くなっていて一度では開ききれないことがあるかもしれません。
その場合は一旦前ページに戻ってからもう一度「GO」のアイコンをクリックすると改善するはずです。
なお、掲載写真は左クリックで拡大することができます。


このホテルの朝食レストランは6時半オープン、行ってみるとイタリアにしては珍しく時間通りに開いていました。
この時期のローマは日の出が7時半前後、日の入りが17時前後ですから、まだ外は真っ暗。
朝一番でレストランに来るのは私を含め日本人観光客ばかりです。
バイキングメニューはパン、ハム、ベーコン、日替わりでゆで卵かスクランブルエッグ、缶詰の果物3種類、フルーツポンチ、といった程度の簡単なものですが、甘い菓子パンが数種類あったのが私には嬉しい献立です。
15分で食事を済ませ7時にホテルを出発、駅前なので既に通勤客がたくさん歩いていますから早朝一人歩きの怖さは全く感じません。

@「サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂」
・・・ホテルから徒歩5分
この教会はサン・ピエトロ大聖堂(午後に訪問)、サン・パオロ・フォーリ・レ・ムーラ大聖堂(明後日に訪問)、サン・ジョヴァンニ・イン・ラテラーノ大聖堂(同じく明後日訪問)と並ぶ“ローマ4大聖堂”のひとつ。
AD431年の「エフェソス公会議」で聖母マリア信仰が公認されたのを機に、ローマ教皇シクトゥス3世(在位432-440)の命で建設されました。
その後増改築を重ね、現在の建物は長さ92m、最大横幅80mと、聖母マリアに捧げられた教会としてはローマ最大とされています。
正面の広場から見える15世紀の鐘楼(高さ75mでローマ一番)や18世紀のファサード(建物正面の装飾壁)など堂々たる外観は荘厳そのもの、このファサードは1743年にフェルディナンド・フーガ(1699-1782)が完成させたものです。
広場中央にはフォロ・ロマーノから移設されたという円柱が立っており、その頂にはフランスの彫刻家ギョーム・バルテロット(1580-1648)作の大きな聖母子像が飾られています。
また、聖堂の裏側にも同じくオベリスクのある広場が設けられていて、アプローチ用の立派な階段、正面玄関側からは見えにくい大きな2つのドームなど、これまた大聖堂らしい風格を感じさせます。
この裏側(後陣側)についてはカルロ・ライナルディ(1611-1691)の設計で1673年に建て替えられたものです。
マッジョーレ大聖堂 広場の円柱 後陣側

正面のポルティコ(玄関前の柱列回廊)の右手にはスペイン国王フェリペ4世(在位1621-1665)のブロンズ像。
ローマの教会にスペイン国王の像というのも奇妙ですが、実はフェリペ4世はこの教会の善き寄進者で、崩御に際してはこの教会のなかに一時的な記念碑が上記カルロ・ライナルディの設計で建てられたということです。
いくつかのネット投稿旅行記にはこの像をフランス国王フィリップ4世と記載しているものがありますが、像の台座にラテン語で「HISPANIARVM REGI CATHOLICO(スペインのカトリック王)」と書いてありましたのでスペインのフェリペ4世が正解です。
フランスのフィリップ4世(在位1285-1314)のほうは時のローマ教皇と激しく対立し、教皇庁を一時フランスのアヴィニョンに力ずくで移してしまったといういわば“ローマの敵”的な存在だった人物です。
この像はバロック期を代表する建築家・彫刻家であるジャン・ロレンツォ・ベルニーニ(1598-1680 文中では以降単にベルニーニと表記)がデザインし、ジローラモ・ルチェンティ(1627-1692)が1692年に制作したものです。
ポルティコの一番左側の扉は25年に一度の聖年の年(直近は2000年)にのみ開かれるという「PORTA SANTA(聖なる扉)」で、表面に彫り込まれたキリストとマリアは信者が触れる手の部分だけ摩耗して金色に光っています。
ポルティコのフェリペ4世像 聖なる扉

教会内部はまだほんの一部にしか明かりが灯されていなくて、日の出前でもあるのでほぼ真っ暗状態。
身廊(教会入口から主祭壇までの中央空間で、参拝者の祈りの場。普通左右に列柱があり、その両外側を側廊という)上部を飾る5世紀の創建当時のものといわれるモザイク画や、ヤコポ・トリッティ(13-14世紀)によって1295〜1296年に描かれた後陣(主祭壇の後ろの空間)のモザイク画「聖母戴冠」などが美術鑑賞的にはこの教会内装の一番の見どころなのですが、残念ながら肉眼では殆んど見えず、フラッシュを使うわけにもいかないので写真撮影も不可能でした。
4年前の訪問時に一度見ているので諦めもつくのですが、真冬の早朝観光はこういった不都合が起きてしまうのが辛いところです。
主祭壇も明かりが届かず殆んど見えないのですが、その手前の半地下スペースは明かりが灯されていて、この教会で最も貴重な聖遺物「キリスト降誕の際のかいば桶(ゆりかご代わり)の5つの木片」が銀製の聖櫃に納められています。
この聖櫃は建築家であり金細工職人でもあったジュゼッペ・ヴァラディエール(1762-1839)の作品です。
そして、この聖遺物に向かって祈りを捧げているローマ教皇ピウス9世(在位1846-1878)の等身大の彫像が置かれていますが、これはイグナチオ・ジャコメッティ(1819-1883)が1880年に制作したものです。
主祭壇右側の床には前述ベルニーニ家の墓石が嵌め込まれており、ラテン語で「ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ」と名前が記されているのですが、ローマに貢献した偉大な芸術家の墓にしては驚くほど質素なもので予め場所を知っていないと絶対見落としてしまうでしょう。
聖櫃(かいば桶の木片) ピウス9世像 ベルニーニの墓

右側廊の一番手前にある「洗礼堂」は上記ヴァラディエールの設計によって1826年に造られたもの。
奥の壁を飾る「聖母被昇天」のレリーフはベルニーニの父親ピエトロ・ベルニーニ(1562-1629)の作品です。
中央にある大きな洗礼盤には金塗装された彫像が飾られていて、ネット情報では「主にフィレンツェで活躍したドナテッロ(1386-1466)作のキリスト像」というものと、「ジュゼッペ・スパーニャ(詳細不詳 前述ヴァラディエールと同一人物?)作の聖ヨハネ像」という異なった紹介が1件ずつ載っていました。
一見キリスト風の端正な顔立ちの像ですが、洗礼者ヨハネについては「ラクダの毛衣を身に着け、十字の杖を持っている」、あるいは「キリストに洗礼を施す場面を描いた絵画の中には貝殻を使っているものがある」と書かれている記事がありましたから多分ヨハネ像というほうが正しいのではないでしょうか。
洗礼堂天井の一角に5体の天使が音楽を奏でているというあまり見かけないフレスコ画が目に入りましたが、ドメニコ・クレスピ(1559-1638)が描いたもの(作品名は不明)で、中央の天使の羽が緑、白、赤の3色で描かれているのは当時の画風としては一般的でない珍しい彩色なのだそうです。
洗礼堂  洗礼盤  天井画

右側廊最奥の「システィーナ礼拝堂」はドメニコ・フォンターナ(1543-1607)によって1585年頃に建設されたもので、ローマ教皇シクトゥス5世(在位1585-1590)の墓が祀られています。
中央にあるブロンズ製の巨大な聖櫃(あるいは聖櫃を入れる容器?)は1590年に造られ1729年に修復されたもの。
ネットの記事によると、かつては先ほど見た「かいば桶の5つの木片」がこの中に納められていたとのことですが、今は何が納められているのかあるいは何も入っていないのかについては調べきれませんでした。
礼拝堂は鉄柵が閉じられていて中までは入れませんでしたが、側壁の彫刻や天井のフレスコ画など見応え充分です。
システィーナ礼拝堂 〃 ドーム 〃 聖櫃

一方、左側廊最奥にあるのは「パオリーナ礼拝堂」で、ここではすでにミサが始まっていました。
フラミリオ・ポンツォ(1560-1613)によって1606年に造られたもので、ボルゲーゼ家出身のローマ教皇パウルス5世(在位1605-1621)の墓が祀られています。
ボルゲーゼ家の起源は貴族ではなく、16世紀に当主がシエナ共和国大使としてローマに赴任した後にローマの貴族の娘と結婚したことから貴族の仲間入りを果たし、財と名声を築いていったとされています。
この礼拝堂だけは写真撮影も一般人の立ち入りも禁止されていますので、対面の右側廊から300mmの望遠を使いシャッター音も消して撮影。
(「撮影禁止」の趣旨はミサの最中のカメラのシャッター音やビデオのモーター音などの雑音、あるいはフラッシュの誤照射による内部装飾への悪影響を考慮したもの、従って遠くから撮る分には構わない、という私自身に都合の良い勝手解釈です)
祭壇には5世紀の「聖母子」のイコン(13世紀に上塗り補修)、その上部にはステファノ・マデルノ(1576-1636)が制作したこの大聖堂建立に纏わる伝説の一場面を描いた雪景色のレリーフ、さらにその上のアーチ状の壁にはジュゼッペ・チェーザリ(1568-1640 通称カヴァリエール・ダルピーノ)のフレスコ画を見ることができます。
パオリーナ礼拝堂 〃 主祭壇画 〃 雪景色のレリーフ

左側廊中央にはルネサンス期の巨匠ミケランジェロが初期設計を手掛けたといわれる「スフォルツァ礼拝堂」があるのですが、ここも残念ながら真っ暗状態でした。
明るくなるまで待つという手もあるのですが、今日一日の行程がぎっしりと詰まっていますし、一応4年前にも訪問していることだし、ということで先を急ぐことにしました。

A「サンタ・プラッセーデ教会」
・・・マッジョーレ大聖堂から徒歩2分の細い路地裏
ローマ皇帝ネロ(在位AD54-68)の時代にキリスト教徒を匿った罪で殉教したプラッセーデとプデンツィアーナという伝説の姉妹の墓を祀って9世紀に建てられたという教会で、外観は殆んど装飾のない質素な建物です。
内部は創建当時のモザイク画で覆われているのですが、ここも早朝かつ窓は小さいし明かりも殆んど点けられていないのでまるで洞窟に入ったような雰囲気です。
後陣、凱旋アーチ(主祭壇がある内陣と身廊とを仕切る半円状の天井壁)などのモザイク画は目を凝らしてようやくぼんやりと見える程度。
撮ってきた写真も光量不足ではっきりしませんが、後陣に描かれたモザイク画は中央にキリスト、向かって右はプデンツィアーナをキリストに紹介するペテロ、左がプラッセーデを紹介するパウロです。
また、向かって左端はこの教会の創立を命じたローマ教皇パスカリス1世(在位817-824)で、後光が四角いのはこのモザイクの制作時点では生存していたということを表しているのだそうです。
プラッセーデ教会 〃 主祭壇 〃 後陣と凱旋アーチのモザイク画

金箔をふんだんに用いその色調の見事さから「天上の園」と称される「サン・ゼノーネ礼拝堂」は更に暗くて、有名な天井画は一応写真に撮って来たもののまったく絵になっていませんでした。
光が当たっていたらさぞ美しい光景を見ることができたでしょうが諦めざるを得ません。
幸いライトアップされていた祭壇にはプラッセーデとプデンツィアーナに崇拝される聖母子を描いたモザイク画が飾られ、幼子キリストが手に持つ巻物にはラテン語で「EGO SUM LUX」と書かれていますが、「私は(世界の)光」と訳すのだそうです。
礼拝堂入口外壁上部の半円形に描かれたモザイク画は辛うじて少し照明が届いていました。
内側の半円は中央に聖母、左右は4世紀のヴェローナの司教だったゼノーネと3世紀に殉教した聖職者聖ヴァレンティヌス(2月14日のバレンタインデーは彼が殉教したとされる日)、その下は8人の女性聖人です。
外側の半円はキリストと12使徒、また、中央にある壺はゼノーネの母テオドラの骨壺だそうです。
サン・ゼノーネ礼拝堂 天井画 〃 祭壇画 〃 入口

横にある小さな礼拝堂には「キリストのむち打ちの柱」なるものがガラスの容器に入って飾られていました。
これは第5回十字軍遠征(1217-1221)の際にエルサレムから持ち帰られたとされるもので、キリストが磔になる前にむち打ちのために縛られた柱なのだとか。
ただし、「大理石製なので罪人を縛る柱としては立派過ぎるため恐らく本物ではない」とされているそうです。
15世紀の枢機卿アラン・ド・コエティヴィの墓を祀った礼拝堂前には小さな売店があって、ここはさすがに照明が点けられていました。
枢機卿の棺の上には左から殉教者の血を拭うためのスポンジと洗面器を持ったプラッセーデ、ペテロ、パウロ、本(聖書?)と殉教のシンボルであるヤシの枝を持つプデンツィアーナのレリーフがありますが、保存状態の良いこの礼拝堂は彫刻家アンドレア・ブレーニョ(1418-1503)によって制作されたものです。

帰国後調べた限り多分「聖ヨハネ・グァルベルト(11世紀の修道士)礼拝堂」と思われる祭壇には姉妹に挟まれたヨハネ(?)、天井には「聖母被昇天」のモザイク画が描かれていました。
もし正しければこの礼拝堂は20世紀前半に造られた新しい礼拝堂のようです。
また、この教会にはジョヴァンニ・バッティスタ・サントーニ(16世紀後半のイタリア南部トリカリコの町の司教)の胸像が飾られていますが、これはベルニーニが制作したもので、世に出ている彼の作品としては最も古いもののひとつといわれています。
1610年の作ということですから、ベルニーニ12〜13歳の作品?
3歳からチェンバロを弾き、5歳で作曲もしたというモーツァルトもそうですが、真の芸術家の天性は素人には計り知れないものがあると痛感させられます。
むち打ちの柱 コエティヴィ礼拝堂 聖ヨハネ礼拝堂 サントーニ像

B「サンタ・プデンツィアーナ教会」・・・プラッセーデ教会から徒歩6分
前述の伝説の姉妹のもう一方の名前を冠した教会で、ガイドブックに朝8;30からオープンとなっていたのでその時刻に合わせて行ったのですが、10分待っても門が開きません。
ガイドブックの情報が間違いなのか、それとも「ここはイタリア」だから何事も時間通りにはならないということなのか、いずれにしても時間がもったいないので拝観を諦めてテルミニ駅に向かいました。
(結果的には旅行最終日の朝に再度立ち寄って内部を一部見ることができました)
C「テルミニ駅」
ここに寄ったのはローマ・パスを購入するためです。
ローマ・パスというのは使い始めから3日間有効のパスで、コロッセオその他予め決められているローマ市内数十か所の美術館や博物館のうち2つまで入場無料、3つ目からは入場料割引、さらに旧市街を走る地下鉄、トラム、バスに乗り放題というものです。
値段は36ユーロ(≒5,400円)と少々高いのですが、2つ以上の施設を観光し、移動手段に地下鉄やバスを何度も利用するなら十分元が取れますし、何よりいちいちチケットを買わないで済むだけでもありがたい商品です。
特に乗物の切符を都度購入しようとすると、対面購入には多少の会話力が必要、バスやトラムの場合は切符を買う場所を探さなければならないし、自販機は故障が多いうえに高額紙幣が使えない、つり銭が出てこない場合もある、等々よほど慣れていないとまず利用は不可能です。

出発前にアリタリア航空のHPを見ていたら、テルミニ駅のインフォメーション・センターほか指定された数か所のチケット売り場ではアリタリア航空の搭乗券を提示するとローマ・パスを2ユーロ(≒300円)割引してもらえるキャンペーンを実施中という記載があることに気が付きました。
窓口で直接交渉することは私の会話力では到底不可能なので、原語版のその記事のコピーに大きく36→34euroと書いて提示したところ、受付の女性は知らなかった様子で何度も読み返したうえでどこかに電話で確認、一瞬不安な思いをさせられたものの結果的にはその通り購入でき、たった300円程度のこととはいえ大満足です。
なお、アリタリア航空の日本語版HPではキャンペーン期間が昨年末までのままで更新されていませんでした。(「早起きは3文の徳(得)」ならぬ「原語版情報は2ユーロの得」です)
セットには利用できる施設一覧(英語とイタリア語)と地下鉄路線図付きのローマ市街図などが同梱されていますが、市街図はイタリア語ですし見にくくてまったく役には立ちませんでした。

鉄道ファンの私としては、せっかく国際列車も頻繁に発着するテルミニ駅に来たのですから半日ぐらいかけて列車撮影に走り回りたいところですが、今回の旅行は教会と美術館巡りに徹すると決めているので我慢、我慢です。

次の目的地に向かうために早速ローマ・パスを使ってトラム5番を利用しました。
このパスを使う場合は事前に裏面に名前と利用開始年月日を自分で記入し、乗物に乗る際には地下鉄はスイカ同様都度無人改札機にパスを翳す、トラムとバスの場合は初乗りの時だけ車内にある検札機にパスを翳して使用開始日時の磁気刻印を受けておく、ことが必要です。
恐る恐る検札機にパスを翳したらピッという音とともに緑色のランプが付き無事刻印に成功、これを怠ると臨時検札で多額の罰金を取られるそうです。
(ガイドブックには「検札は頻繁にある」と書かれていますが、結果的には3日間合計19回の利用で一度も出会うことはありませんでした)

D「サンタ・ビビアーナ教会」
・・・テルミニ駅から約1km南
この教会は5世紀創建という古い歴史を持つとはいえ観光客が訪れることなど殆んどない小さな教会ですが、あえてここを訪ねたのは1624年の再建時にベルニーニが建築家として初めて関与した教会だったからです。
残念ながら教会は外装全面修理中で櫓とシートで覆われてしまっていましたが、主祭壇に飾られたベルニーニ1624〜1626年作の聖女ビビアーナ(4世紀に殉教した女性)の像はじっくりと鑑賞することができました。
ビビアーナが手に持つシュロと右肘の下の柱は殉教を表し、天を仰ぐ姿は殉教の瞬間を表しているのだそうで、また、この作品は裸体でなく着衣の彫像としてはベルニーニの最初の作品ということだそうです。
ビビアーナ教会 〃 ポルティコ 〃 ビビアーナ象

E「ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世広場」・・・サンタ・ビビアーナ教会からから徒歩5分
この広場は次の目的地に向かう地下鉄A線「ヴィットーリオ・エマヌエーレ駅」の前にある公園で、ここにはAD1世紀の古代ローマ時代の水道施設遺跡「ニンフェウム・アレクサンドリ」と、16世紀の大司教マッシミリアーノ・パロンバーラの邸宅入口で2体の奇妙な彫像(魔除け?)を飾った「魔法の門」と呼ばれる遺跡が残されています。
一応フェンスで囲われてはいるものの雨ざらしで放置状態、イタリアは遺跡だらけで到底こんな小さな遺跡のメンテまでは手が回らないのでしょう。
ニンフェウム・アレクサンドル遺跡 パロンバーラ邸跡

F「サンタ・マリア・デッラ・ヴィットーリア教会」
・・・地下鉄A線「レパブリカ駅」下車、徒歩5分
この教会は17世紀初頭に聖パウロに捧げられた礼拝堂を起源とし、現在の建物は1620年頃にカルロ・マデルノ(1556-1629)によって建築されたものです。
また、ファサード部分は建物完成後の1626年にジョヴァンニ・バッティスタ・ソリア(1581-1651)の設計で完成しています。
主祭壇は簡素で、元々は「キリスト降誕」のイコンがここにありましたが1833年の火災で焼失し、現在はそのコピーが飾られています。
後陣のフレスコ画はカトリック対プロテスタントの戦いといわれる1620年の「白山の戦い」で、ハプスブルク家率いるカトリック軍がボヘミア軍に勝利してプラハ城(現チェコ)に入城する場面を描いたものですが、前述の火災後の19世紀になってルイジ・セラ(1846-1888)の手で復元再生されたものになっています。
ヴィットーリア教会 〃 主祭壇 〃 後陣フレスコ画

この教会で最も注目度が高いのはベルニーニが1647〜1652年にかけて建設した「コルナーロ礼拝堂」です。
その祭壇には彼の代表作の一つである「聖テレジアの法悦」という素晴らしい大理石製の彫像が置かれています。
聖テレジア(ラテン名)は16世紀にスペイン・アビラの貴族の娘として生まれながら修道女となり、後に修道院改革に注力した女性で、一般的には「アビラのテレサ」と呼ばれています。
「黄金の槍を持つ天使に心臓を貫かれた時に苦しみと同時に甘美な法悦(ecstasy)を味わった」という彼女の幻視体験をテーマにしたこの作品におけるテレジアの表情は宗教上の“脱魂状態”を見事に表現しているとされています。
礼拝堂の左右の壁にはまるで劇場の桟敷席のような場所に8人のコルナーロ家の男性像。
この礼拝堂の前に立つとどうしてもテレジアの像に目が釘付けになってしまいがちですが、手前の床には「希望」と「絶望」を表現しているとされる一対の骸骨が描かれ、また、祭壇の台座には「最後の晩餐」の金塗装レリーフが飾られています。
礼拝堂の脇にコインボックスがあってここに1ユーロだか2ユーロだかを投入すると暫く照明が点く仕掛けになっており、私が到着した時はちょうど誰かがコインを投入してくれた直後だったのでちゃっかり便乗させてもらい、上からの明るい光に照らし出された傑作をゆっくり鑑賞することができて大変ラッキーでした。

教会はトム・ハンクス主演で大ヒットした2009年公開の米映画「天使と悪魔」の中の重要な場面にこの礼拝堂が登場したことから、一挙に観光客が増えたともいわれています。
この礼拝堂と向かい合わせの場所にはドメニク・グイ(1625-1701)が制作した「聖ヨハネの夢(ヨハネは聖母マリアの夫でキリストの養父)」という彫像があるのですが、「聖テレジア」の人気には到底敵わず人だかりはまったくなくて気の毒なほどでした。
コルナーロ礼拝堂 「聖テレジアの法悦」 〃 床装飾
コルナーロ礼拝堂 「最後の晩餐」 「聖ヨハネの夢」

このほかジョヴァンニ・ドメニコ・チェッリーニ(1609-1681)が1675年に描いた天井フレスコ画「異端に勝利する聖母」(「聖母被昇天」と「堕落天使の落下」を組み合わせ、前述の戦いでカトリックがプロテスタントに勝利したことを表現。周囲の天使像は18世紀初頭に追加されたもの)や、同じくチェッリーニによるドームのフレスコ画、あるいはマッティア・デ・ロッシ(1637-1695)とベルニーニによる豪華な聖歌隊席、などなど見応えのある作品が多数あって目を楽しませてくれました。
「異端に勝利する聖母」 ドーム 聖歌隊席

F「モーゼの噴水」・・・道路を挟んでヴィットーリア教会の向かい側
1587年に敷設された「アックア・フェリーチェ水道」の末端に造られた噴水で、水道自体もこの噴水も前述ドメニコ・フォンターナによって建設されました。
中央の巨大な像がモーゼで、これはレオナルド・ソマーリ(1550-1590)によって制作されたものです。
この噴水はローマ観光の定番である「トレヴィの泉」、それとローマ旧市街西端のトラステヴェレ地区にある「パオラの泉」、とともに“ローマ3大噴水”と称されています。 

F「サンタ・スザンナ教会」
・・・モーゼの噴水のはす向かい
教会の起源は4世紀、今の建物は1603年に完成したもので、ファサードは前述カルロ・マデルノ設計、現在ローマ在住の米国人向けの教会になっています。
横の扉が開いていたので入ってみたのですがどうも付属の事務所だったようで教会には入れず、旅行最終日の朝にも再訪しましたが同じ状態で結局拝観は出来ませんでした。
モーゼの噴水 〃 モーゼ像 サンタ・スザンナ教会

G「バルベリーニ広場」
・・・ヴィットーリア教会から西方に徒歩約8分
地下鉄A線の「バルベリーニ駅」駅前の小さな広場ですがここの見どころは2つの噴水です。
ひとつは広場中央にある「トリトーネの噴水」で、この付近一帯に敷地を有していたバルベリーニ家の依頼によってベルニーニが1642〜1643年にかけて制作したもの。
トリトーネはギリシャ神話の海神ポセイドン(ローマ神話のネプチューンに相当)の息子で魚の尾を持ちほら貝を吹いて海水を操る神(英語読みトリトーン)です。
また、バルベリーニ家はイタリア北西部トスカーナ地方出身で1530年以降ローマに在住、ローマ教皇ウルバヌス8世(在位1623-1644)を輩出するなど隆盛を極めたローマ貴族です。
バルベリーニ家の紋章は3匹の蜂をあしらったもので、この噴水の台座にも模られていますがこのあとローマの町のいたるところで目にすることになります。

もうひとつの噴水は広場の北側にポツンとある「蜂の噴水」です。
トリトーネの噴水の戻り水を使った馬の水飲み場としてベルニーニが1644年に制作、命と豊饒のシンボルであるホタテ貝とバルベリーニ家のシンボルである蜂を組み合わせた面白いデザインですが、元々近くの別の場所にあったものを19世紀になって現在の場所に移設した際に補修されていて、原型とは少し違うものになっているそうです。
トリトーネの噴水 蜂の噴水 街角で見た魔除け像

G「サンタ・マリア・デッラ・コンツィオーネ教会」・・・バルベリーニ広場から徒歩2分
駅前から続く並木道の右側に左右から上がれる菱形の階段が特徴的な古い建物があり、左から上がると掲題教会、右から上がると「カプチン修道会博物館」となっています。
教会のほうはバルベリーニ家の援助で1630年に建立されたもので、入口にある聖水盤の土台にも蜂のマークが彫られていました。
主祭壇の絵画は元々ジョヴァンニ・ランフランコ(1582-1647)の「無原罪のお宿り」が掲げられていましたが火事で焼失、今あるものは1813年に複製されたものです。
コンツィオーネ教会 聖水盤 主祭壇

日本のガイドブックにも紹介されていない小さな教会なのですが、礼拝堂にはグイド・レーニ(1575-1642)作「大天使ミカエル」や、ドメニキーノ(1581-1641 本名ドメニコ・ザンピエーリ)作「聖フランチェスコの恍惚」、ピエトロ・ダ・コルトーナ(1596-1669 本名ピエトロ・ベレッティーニ 以降単にコルトーナと表記)の1631年作「聖パウロの目を治すアナニア」など、イタリア・バロック期を代表する画家たちの絵画が掲げられています。

博物館のほうは通称「骸骨寺」と言われ、4000体もの修道僧の骨がまるで芸術品のように壁や天井を飾っていて、こちらはガイドブックで“必見”と紹介されていたのですが、有料かつ写真撮影厳禁ですし、何より気色悪いのでパスしました。
「大天使ミカエル 「聖フランチェスコの恍惚」 「聖パウロの目を治すアナシア

午前中の教会巡りはこれで終了、バルベリーニ駅から地下鉄A線に乗ってヴァチカン博物館に向かいます。
(以下次ページに続く)

 
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