7日目−1 イスタンブール市内観光

旅行最終日、5時に起きて朝の散歩に出かけました。
イスタンブールの東端の岬を半周することを旅行前から計画し、念入りに下調べもしてあります。
勇んでホテルの玄関を出たら路面が濡れており、雨粒が顔に当たりました。
このまま散歩を強行すれば私の「海外旅行傘ささず記録」は終わってしまいますが、何としても散歩はしたいと思って部屋まで傘を取りに戻り、もう一度外に出たら何と雨が上っているのです。
この後ホテルに戻るまで結局雨は降らず、この強運は一体何なのでしょう。(海外旅行に関してだけですが)
道に迷わないようにGoogle Mapsから詳細な道路拡大地図をたくさんコピーして持って来てあり、これを片手に散歩開始です。
まだ薄暗い中をひと気の無いと思われる海岸沿いを長時間歩く計画なので、途中で暴漢に襲われたり拉致されたりしないよう、帽子のツアーバッジをはずし、首にはタオル、上着は着ないで半袖Tシャツ、腰のウエストポーチにセーターを引っ掛けて地元駐在員の朝のジョギングスタイルを装い、さらには100円ショップで買っておいた呼子を首から下げて「いざとなったら笛を吹いて助けを呼ぶぞ」という完全防御体制で歩き出しました。
昨日の車中で現地ガイドが「トルコでは命まで取られることは少ないけれど、睡眠薬を入れた飲み物を飲まされて身包み剥されるとか、スリ、置き引き、かっぱらいの被害は決して少なくないので充分注意を」と言っていたのを思い出します。

ホテルからマルマラ海方面に向かって急な坂道を下って行くとソクルル・メフメト・パシャ・ジャミィという小振りのモスクがありますが、これは16世紀の同名のパシャ(大宰相 首相)のために作られた古い建物で前述のミマール・スィナンの設計によるものだそうです。
内部も必見という口コミ情報があったのですが、朝の5時半では建物内に入りようもなく中庭で写真を撮るだけでした。
さらに坂を下るとキュチュク・アヤソフィア・ジャミィ、これは“本家”アヤソフィアと同様に教会からモスクに転用されたため小(キュチュク)・アヤソフィアと呼ばれているものです。
教会としての起源は527年ですが外観はかなり修復されている様子、八角形のドームが目を引きます。
ソクルル・メフメト・パシャ・ジャミィ 街角の光景 キュチュク・アヤ・ソフィア

海岸に出るとマルマラ海に面してケネディ通りが旧市街の交通拠点であるエミノニュまで続いており、この道路伝いに岬の東端を目指して歩いて行きました。
対岸にはアジアサイドの岬がせり出していて、晴れていれば国際列車のターミナルであるハイデル・パシャ駅(1909年開業、テヘランやダマスカスへの列車が発着します)や乙女の塔とも呼ばれる12世紀の城砦クズ塔(現在ある建物は18世紀に再建されたもの)などが見えるはずなのですが、あいにく曇天で靄がかかっておりほんのうっすらと建物のデコボコが見て取れる程度です。
晴れていればこの辺りの海から朝日が昇ってくると目論んでいたのですがこれも空振りになってしまいました。
程なくブコレオン宮殿に行き当たりますが、今は完全な廃墟になっていて案内板すら無く、知らなければ古い城壁の一部にしか見えません。
旅行ガイドにも紹介が無く、ネットで調べても東ローマ帝国時代の宮殿ということ以外分かりませんでした。
海辺には朝早くから釣り人が出ていて、こちらに気付いた2人連れの男性に「コンニチワ I love TOKYO」と声をかけられました。
彼らには遠目でも日本人と中国人、韓国人の区別がつくのでしょうか。
ブコレオン宮殿跡 マルマラ海 対岸はアジアサイド

ケネディ通りの山側は途中からレンガ造りの城壁が続いています。
この城壁は古代ローマ帝国コンスタンティヌス1世が330年にコンスタンティノープル(現イスタンブール)を首都と定めた時期に構築されたもので、海岸線を回りこんで西側のヨーロッパ大陸続きの部分は今のファティフ・ジャミィのラインでつなげて当時の首都をスッポリ包み込む形となっていました。
現在はトプカプ宮殿付近に一部が残っている程度となって殆ど放置状態のように見えますが、高さ5mくらいはある重厚な城壁や城砦は迫力充分です。
(後の413年にはテオドシウス2世が陸続き部分を西側に1.5km膨らませて更に堅固な城壁によって都を包み直し、テオドシウスの城壁として西側のかなりの部分が今なお残っています)
ケネディ通りに沿って続くコンスタンティヌスの城壁

岬の突端を回るとシルケジ駅、ここもトルコ国営鉄道のターミナル駅でオリエント急行の終着駅だったことで有名、ベオグラードやブカレスト行きの列車が発着します。
1890年に完成した駅舎はオリエンタリズム建築の代表例のひとつで、丸みを帯びたドーム上の屋根や丸いステンドグラスの窓が特徴的、駅の一角にはオリエント・エクスプレスと名付けられたレストランがあって旅行者に人気が高いそうです。
ホームにも入ってみましたが構内は外観と比べると殺風景、特別に目を引くような列車も入線していなくて、鉄道ファンの私としてはちょっと残念なところでした。
駅前で写真を撮っていたら観光ガイドブックを売り歩いている男性が声をかけてきましたが、「いらない」と言うとあっさり離れて行きました。
首から呼子をぶら下げた完全防御体制が奏功したのでしょうか。
国営鉄道操車場 シルケジ駅 レストラン「オリエント・エクスプレス」

時計は7時、まだ時間は充分あるのですがこのままホテルまで歩くとなると上り坂一辺倒になりますし、午後の自由行動時間でもこの辺を歩くことにしているので、ここからトラム(路面電車)に乗って帰ることにしました。
トラムに乗るには予めジェトンというプラスチック製のコイン(切符の役目)を買わなければなりませんが、売り場が見当りません。
道を歩いていた人に「トラム、ジェトン?」と聞くと指で方向は示してくれましたが分からず、ちょうどポリスボックスに出勤してきた警官に聞いてようやく分かりました。
見れば確かに「JETONMATIK」と書いてあるのですが、日本の自動券売機の形を想像していたのに現物は壁掛けの公衆電話みたいな小さな機械だったので見落としていたようです。
1枚1.75TL(≒100円)で全線均一ですから安いものですし、地下鉄や新市街のケーブルカーなどとも共通なので買い置きしておくと便利です。
まだ早朝なので車内は空いていましたが、日中はいつも混んでいて観光客はスリに注意が必要なのだそうです。
鉄道博物館の展示物 トラム ジェトンの自動券売機

2つ目のスルタン・アフメット駅で下車し、マイル・ストーン(330年に首都となった際にここを基点として首都からの距離を計測した石柱)、地下宮殿の入口建物、朝のアヤソフィアとブルー・モスク、等を写真に収め、その横にあるスルタン・アフメット広場(ヒッポドゥロームとも呼ばれる古代ローマ帝国時代からの競馬場跡)を散策しました。
ここにはヘビの柱(ギリシャのアポロン神殿から移設した紀元前5世紀のもの、かつては頭部もあったそうです)、テオドシウス1世のオベリスク(エジプトのカルナック神殿から移設した紀元前15世紀のもの)、コンスタンティヌス7世のオベリスク(10世紀建造、現在修復中でシートで覆われていました)、ドイツの泉(ドイツ皇帝のイスタンブール訪問を記念してドイツ政府が1900年に寄贈した泉亭)などが並んでいます。
かつての競馬場は今の地表より2m下にあり、その構造物の一部は広場の隅から見ることができました。
宿泊ホテルのすぐ傍にはファド・パシャ・ジャミィという小奇麗なモスクがありましたが、調べてもどこにも紹介記事が無く由緒その他は分かりません。
トルコ周遊ツアーではカッパドキアからアンカラに向かい、夜行寝台列車でイスタンブールに翌朝到着してそのまま市内観光をするという行程のものがむしろ多いようです。
鉄道ファンの私としてはこれも捨てがたい魅力だったのですが、飛行機移動だったからこそ夕べの夜の街散策も今朝の散歩もできたわけで結果としてはこちらを選んで大正解でした。
もっとも、イスタンブールが大雨だったらこれもできなかったのですから、旅行は本当にお天気次第ですね。

マイル・ストーン ヘビの柱 オベリスク ドイツの泉 ファド・パシャ・ジャミィ

ホテルに戻り6階のレストランで朝のアヤソフィアとブルー・モスクを眺めながら優雅な朝食、太陽が出ないので朝日に輝くモスクを見ることはできませんでした。
添乗員さんの話では昨日イスタンブールの北220kmのシマブでM5.9クラスの地震があり死亡者も出たとか、2日目に宿泊したアイワルクからも250kmくらいの場所でしたが、天災はいつどこで降りかかるか全く分からないので恐いですね。
ホテルのレストランから 中央にアヤソフィア、右にブルー・モスク、 奥はマルマラ海

午前中の観光はトプカプ宮殿のみ、昼食後は自由行動またはオプショナルツアーになります。
トプカプ宮殿は1453年にコンスタンティノープルを陥落させたメフメト2世が建てたもので、その後大幅に増改築されていますが19世紀半ばにメジト1世が今の新市街にドルマバフチェ宮殿を作るまでスルタンの王宮として使われていたものです。
宮殿の一番外側の門である帝王の門(1478年建造)には物々しく小銃を構えた兵士が警護をしていました。
門の前には小さな広場があってその中央にはメフメト3世の泉亭が立っています。
1728年の建築物で、大理石と思われる外壁の上部はアラベスク文様のタイルで飾られており後期オスマン様式の傑作と言われるもの、時間があればゆっくり見たいのですが先を急ぐので素通りでした。
門をくぐると第一庭園と呼ばれる芝生の広場があり、左手には4世紀に起源を持ち740年に再建されたイスタンブール最古の教会のひとつであるハギア・イレーネ教会がひっそりと佇んでいます。
そして2本の櫓を従えた表敬の門を抜けるとようやく入場口、既に多くの観光客で混みあっていました。
第二庭園の左側にはハーレムがありますがこのツアーではパス、希望者はこの後の自由時間に別途入場料を払って見ることになります。
庭園正面の幸福の門を通り抜けると第三庭園となり、ここに宝物館があります。
建物内部に入る前に現地ガイドからトプカプの短剣(大きなエメラルドを3つも埋め込んだ黄金の短剣)、スプーン職人のダイヤモンド(86カラットの巨大なダイヤ)など必見の宝物の説明を聞き、あとは11時まで1時間強の自由時間となって各自宮殿内を見学することになりました。
メフメト3世の泉亭 帝王の門 イレーネ教会 表敬の門
幸福の門 第三庭園 宝物館入口

ツアーではトプカプ宮殿の見学が終わるとガラタ橋を渡って新市街のレストランで昼食、その後夕方まで自由行動またはオプショナルツアー(ボスフォラス海峡クルーズほか)を選択することになっています。
昨日の最終チェックで私を除く7人がオプショナルツアーに参加、私だけが自由行動ということになりました。
もし昼食が済むまで同行すればその後はオプショナルツアーには現地ガイドが、私には添乗員さんが付いてくれるということでしたが、私がツアーを離れてまで見たかったカーリエ博物館やテオドシウスの城壁、ヴァレンス水道橋、地下宮殿、スレイマニエ・モスク、リュステム・パシャ・モスク等は全て旧市街にあり、新市街まで行って昼食後に行動開始したのでは2時間近くも時間ロスが出てしまいます。
加えて、カーリエ博物館は旧市街の一番はずれにあり、帰り道は5〜6kmの距離を全て徒歩で歩きながらお目当てのモスクなどを見て回りたくて、そこまで添乗員さんにご苦労をかけるわけにもいきません。
そのため昼食をキャンセルしてトプカプ宮殿からそのまま単独自由行動をとらせてもらうことにして、今朝「離団届け」(ツアーを一時的に離れることについての自己責任確認および特別保険適用項目確認の書類)を提出済みでした。
(団体のツアー途中での身勝手な行動ですから本来は慎むべき、お薦めはいたしません)
あまり治安が良くないとされるイスタンブールでの長時間単独行動は添乗員さんとしては心配な話でしょうが、朝の散歩に使った呼子や日本で作成してきた自前の手帳(Google Mapsからコピーした目的地周辺やルート上の目印箇所の拡大地図を貼り付けた17ページの大作?)を見せ、添乗員さんと現地ガイドと現地旅行代理店の電話番号をしっかり教えてもらって離団開始です。
再集合はガラタ橋前の広場18時、トプカプ宮殿の自由観光を含め約8時間の自由行動です。

まずは宝物館に入りましたが大混雑ですし写真撮影も禁止、現地ガイドに教えてもらった特定の宝物以外はガイドブックを買ってプロの写真を見たほうが良いと割り切って20分ほどで一回りしました。
現地ガイドが「保険会社が値段を付けられないほどの宝物」と言っていましたがまさにその通りでしょう、歴史的価値の差は分かりませんが少なくともいわゆる“金銀財宝”としての時価なら中国や台湾の故宮などをはるかに上回るのではないかと思わされます。
スプーン職人のダイヤモンドは世界5位とか7位の大きさというネットの記事を見かけましたが、私がネットで見つけた資料によれば10位が南ア共和国の資源メジャー「デビアス社」所有のミレニアム・スターで203カラットですから、86カラットではもう少し順位が下かもしれません。(因みに世界最大の研磨済みダイヤモンドはタイ王室所有のザ・ゴールデン・ジュビリーで545カラットだそうです)
いずれにしても“ケタはずれに凄い宝石”であることには変わりありませんが・・・。
その後、宮殿のさらに奥にある第四庭園の金張り天蓋付きの東屋イフタリエから金角湾対岸の新市街を遠望、内部のイズニックタイルと象眼細工が美しい1638年建造のバグダード・キョシュキュ、比較的空いていた会議の間などを見学し、10;40トプカプ宮殿を後にしました。
ボスフォラス海峡 イフタリエ 新市街 左にガラタ塔
バグダード・キョシュキュ 〃 内部の装飾 会議の間


以下、自由行動のレポートは次ページに掲載しました。

  

 

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