7日目−2 イスタンブール自由行動〜8日目 帰国
 
(青線)朝の散歩ルート @ソクルル・メフメト・パシャ・ジャミィ Aキュチュク・アヤソフィア Bブコレオン宮殿 Cコンスタンティヌスの城壁 Dシルケジ駅〜(トラム)〜Eヒッポドゥローム

(赤線)午後の自由行動ルート @地下宮殿 Aヌルオスマニエ・モスク、グランドバザール Bイスタンブール大学、ベヤズット・ジャミィ Cラーレリ・ジャミィ Dヴァリデ・スルタン・モスク Eムラト・パシャ・ジャミィ〜(地下鉄)〜Fテオドシウスの城壁 Gミフリマ・スルタン・ジャミィ、エディルネ門 Hカーリエ博物館 Iファティフ・ジャミィ Jヴァレンス水道橋 Kシェフザーデ・ジャミィ Lスレイマニエ・モスク Mリュステム・パシャ・ジャミィ、エジプシャンバザール Nイェニ・ジャミィ Oガラタ橋     地図はGoogleMaps利用

離団後の自由行動最初の観光はトプカプ宮殿からほど近い地下宮殿、ここは4〜6世紀にかけて作られた貯水場で市街から20kmも離れた森から水道橋を使って水を引き8万立方メートルもの水が蓄えられたというものです。
平日なのに入場券売り場は長蛇の列でしたが、中は広い空間なので見学はゆっくりできました。
暗い階段を下りると、赤い照明が宮殿と呼ぶに相応しい幻想的な雰囲気を作り出しています。
この建物は高さ9mの天井を12本×28列=336本の大理石の円柱が支える構造になっていましたが、現在は補修・保存工事などで数十本減っているそうです。
今は水を引いていないはずなのに多分地下水が湧き出ているのでしょう、床底には水が溜まっていて見学は板張りの渡り廊下を歩くようになっています。
光が全く差さない地下なのに何と魚が泳いでいました。
宮殿の一番奥にはメデューサの首を土台にした柱が2本、暗いだけに不気味な光景です。
頭を横と逆さまにしてその上に柱が乗っていますので、憎しみの現れなのか魔除けのつもりなのか何か意味を持っているのでしょう。(それともただ座りがよかった?)
ここの柱や土台は建設当時から新品ではなく、ギリシャ・ローマ時代の古い神殿などから持ってきたものだということですから素材としては4世紀よりもっと前のものが使われているようです。
地下宮殿 メデューサの首の土台 天井

地下宮殿入口の横には今朝の散歩で見たマイルストーンがあり、ここから旧市街のメインストリートであるディバン通りを西に向かって歩きますが、この通りは1600年前には既に出来ていた道路でスルタンの墓廟(資料が見当らず誰が眠っているのかは分かりません)とかコンスタンティヌスの柱(330年建造、当初は頂にコンスタンティヌス1世の像が立っていたそうです)といった遺跡が道端に残されています。
途中から右に折れてヌルオスマニエ・モスクを見に行きましたがちょうど礼拝の時間、このモスクはイスタンブールで最もチャーミングなモスクといわれていますが、中に入れなかったのでどこがチャーミングなのかは分かりませんでした。

モスクの前が15世紀頃から賑わっていたといわれるグランドバザール、その東側の入口であるヌルオスマニエ門から中に入りました。
グランドバザールは東京ドームの2/3くらいの広さがあって、4000を超える店と58の小路があり中東最大ともいわれる屋根付きの市場です。
私は買物には興味がありませんし、うっかり店員に捕まって足止めを喰らったら大変なので中を真っ直ぐに突っ切ってベヤズット広場に急ぎました。

広場に面してイスタンブール大学の立派な正門とベヤズット・ジャミィがあります。
イスタンブール大学は国立ですが学生数6万人というマンモス大学、ここは5つあるキャンパスのメインらしく塀に囲まれた広大な敷地で、門の前に守衛が立っていて一般人は立ち入り禁止です。
1505年建立のベヤズット・ジャミィは中に入ることが出来ました。
ブルー・モスクよりは当然小振りで内装もやや大人しい目ですが、メッカ方向を示すミフラーブは鍾乳石飾りの付いた立派なもの、観光ルートではない所為か見物者も少なく落ち着いた雰囲気でした。
スルタンの墓廟 コンスタンティヌスの柱 ヌルオスマニエ・モスク
グランドバザール 左はヌルオスマニエ門 右はベヤズット門
イスタンブール大学正門 ベヤズット・ジャミィ 〃 内部 〃 ミフラーブ

さらに西方向に歩いて行くとラーレリ・ジャミィがあり、ネットの口コミ記事によれば内部の大理石の壁やステンドグラスが美しいということでしたが、残念ながらここも礼拝中でした。
先ほどのベヤズット広場辺りから空が暗くなり冷たい風も出てきて気になっていたのですが、心配が的中して雨粒がパラパラと落ち出しました。
小雨なので傘を出すのも面倒ですし雨宿りをするほどの雨でもないのでそのまま歩いていたら5分ほどでやんでしまいましたので「海外旅行傘ささず」記録は辛うじて続行です。
急な坂を下りきるとアクサライの大きな交叉点、道の左右にはヴァリデ・スルタン・モスクやムラト・パシャ・ジャミィなどがありますが、事前の調査では由緒その他不明でしたので外観の写真撮影だけでスルーしました。
ラーレリ・ジャミィ ヴァリデ・スルタン・モスク ムラト・パシャ・ジャミィ

ここからはカーリエ博物館を目指して地下鉄に乗ります。
本当はタクシーを利用すれば簡単ですし時間も節約できたのですが、イスタンブールは雲助タクシーも多いと聞きますので特に一人旅の旅行者は狙われやすいと思って一切使わないことに決めていました。
アクサライ駅は人がたくさん同じ方向に歩いて行きますので結果的には迷うことはありませんでしたが、終点駅のわりにはプレハブ作りのような簡素な建物で目立ちません。
朝の散歩の際に余分に買っておいたジェトンが地下鉄でも共用できますのですんなり入場、電車は日本並みにきれいな車両です。
トラムや乗り合いバスも含め、公共機関の乗物はエジプトやイタリアなどと比べると意外なくらいきれいで、トルコという国を見直してしまいました。
2つ目のウルバトゥル駅で下車、地上に出たら駅前の屋台でシミットを売っていたので昼食代わりに購入。
シミットはゴマのついたドーナツ型の固いパンでトルコの代表的なファストフード・立ち食いフード、人が集まる広場や大きな道路わきなどいたるところに屋台が出ています。
値段は0.75TLと書いてありましたので1TLを渡したのですが当然のようにお釣りは返ってきませんでした。
屋台などだと0.5TL未満はお釣りが返ってこないと思ったほうが良さそうです。
“バクシーシ(富める者は貧しい人に富を分けるのが当然というイスラム教の教え)”はエジプトでよく聞く話ですがトルコでもその考え方は多少残っているようですから、お金に几帳面な性格の方(?)は屋台や個人商店などで買物をする場合に備えて小銭をたくさん持ち歩く必要があります。
もっとも0.5TLでも28円程度、気前よく「釣りはいらない」というのも海外旅行者の見栄として悪くないと思いますが。
殆ど歩いている人もいないのでシミットをかじりながらカーリエ博物館を目指しました。
地下鉄アクサライ駅 地下鉄 かじりかけのシミット

用意してきた地図に従って歩き出すと、すぐにテオドシウスの城壁が道路と並行して続いているのが目に入ります。
朝の散歩で見たコンスタンティヌスの城壁は一重でしたが、こちらは三重になっていたそうです。
城壁全体を掘り起こして整備してあるわけではないので、ところどころ二重目らしい瓦礫は見えますが三重目は分かりませんでした。
ただ、壁の厚さは海岸線の城壁よりかなりぶ厚そうで、ネットの口コミ記事によると厚さ5〜10m、高さ7〜12m、物見塔は高さ20mということのようです。
この城壁は当時のコンスタンティノープルをすっぽり包み込む形(城壁の全長22km)になっていましたが、海岸線はボスフォラス海峡やマルマラ海の強い潮流と風が自然の要塞として補助的役割をしていたのに対して、大陸続きの西側は外敵から攻められやすかったために特に強固に作られたとされています。
旅行前に読んだ塩野七生氏の「コンスタンティノープルの陥落」によれば、1453年のオスマン帝国との最後の戦いの際に主戦場となったのがちょうど私が歩いた辺りで、オスマンの秘密兵器「ウルバンの巨砲」による損傷が一番大きかったはず、その凄まじかった城壁攻防戦に思いを馳せながらゆっくりと歩いて行ったら、何とカーリエ博物館までほぼ真っ直ぐに行けるはずの道が工事中で遮断されてしまっていました。
日本のような迂回路の案内板も無いのでスゴスゴと駅まで戻って城壁の外側の道を行くことになり、30分の時間ロスです。
テオドシウスの城壁  (左下の写真後方はミフリマ・スルタン・ジャミィ)


カーリエ博物館に着く手前にミフリマ・スルタン・ジャミィという1555年にミマール・スィナンが設計して建立された大きなモスクがあります。
ここもちょうど礼拝が始まる直前で、多くの男たちがモスクに入って行くところでした。
イスラム教では「金曜礼拝」といって、金曜日は成人男子の信者はモスクに出向いての礼拝が義務付けられていて今日はあいにくその金曜日、ヌルオスマニエ・モスク、ラーレリ・ジャミィに続いて3つ目の礼拝時間にぶつかってしまいました。
このモスクの脇の城壁にエディルネ門(昔の名前はカリシウス門)がありますが、前述の塩野氏の著によればメフメト2世がこの門から白馬に跨って凱旋の入城をし、聖ソフィア大聖堂(現アヤソフィア)まで乗り進んだという由緒ある門です。
この辺りの標高は70m前後でイスタンブール旧市街では一番高い丘、ここから自由行動の最終目的地ガラタ橋までは途中アップダウンはあるものの基本的に下り坂になるので徒歩観光には好都合です。
カーリエ博物館はほど近いはずですが、地図で見ると小道が入り組んだ先にあるので念のためすれ違った子供たちと黒装束の2人連れの女性に道を尋ねたのですがいずれも分からないという返事でした。
「道を尋ねるとわざわざそこまで連れて行ってくれる親切な人も多い、ただしうっかりついて行くと恐いところに連れ込まれてしまうこともある」という話を聞くので、あえて男性や“魅惑的な若い女性”は避けて絶対安全そうな子供か年配女性を選んだのですが、地元の人たちにはあまり興味の無い博物館なのでしょうか。
ミフリマ・スルタン・ジャミィ エディルネ門 左が城壁の内側、右が外側

カーリエ博物館の前身は4世紀のギリシャ正教コーラ修道院の付属教会で、現在の建物は11〜12世紀に建立されその後オスマン帝国時代になって1510年にアヤソフィア同様にモスクに転用されたものです。
内部を飾る14〜15世紀のフレスコ画やモザイク画はビザンチン美術の最高傑作と言われますが、モスク転用後に漆喰で塗り固められていたために保存状態が極めて良く色鮮やかに蘇っています。
たくさんある画はそれぞれ聖書の一場面を描いているようですが、残念ながら聖書の内容を殆ど知りませんので何の場面なのか、キリストとマリア以外の人物は誰なのか、サッパリ分かりません。
帰国後にガイドブックなどの写真と見比べて分かった範囲が以下に掲載した写真で、「カナの婚礼の奇跡」は水瓶の水をワインに変えた奇跡の場面です。
このほかにも精緻かつ豪華なモザイク画が壁や天井を飾っていて片っ端から写真に収めて来ましたが、一方で「キリストの誕生」とか「最後の審判」といった重要な場面の画を残念ながら見落としてしまったようです。
素晴らしい画の数々を目の当たりにすることが出来て、オプショナルツアーを不参加にしてまで一人自由行動の暴挙(?)に出た甲斐があったと大満足の見学でした。
カーリエ博物館 祝福を与えるイエス
アナスタシス(復活) キリストとテオドロス
ディーシス(請願図) 聖母子像 コイシメス(生神女就寝)
聖ペテロ 聖パウロ 全能者キリストのドーム 聖母子と聖人のドーム 聖母子と天使のドーム
カナの婚礼の奇跡 聖母マリアとヨゼフ (名前不詳の中の1枚)

この博物館はイスタンブール観光の目玉であるアヤソフィアやブルー・モスク、トプカプ宮殿などのある一角からポツンと遠く離れているため、忙しく走り回る日本のツアーでは旅程に組み込まれているものは殆どありませんが、ゆっくりした観光が主体の欧米人には大変人気が高いそうで事実そんな観光客ばかりが目に付きました。
上にカメラを向けてドームのフレスコ画を撮っていたら隣にいた老夫婦が話しかけてきました。
ドイツ語だったのでチンプンカンプン(いや、英語でも自信はありませんが)、困っていたらご主人が実演をしてくれました。
どうやら「カメラを床に上向きにして置いて撮ればブレないよ」と教えてくれたようです。
回転式の液晶モニター付きカメラでなければ出来ない芸当ですが、私のコンデジの液晶モニターが回転式なのを目敏く見つけたのでしょう。
お礼を言ってそのとおりにやってみたら満足そうに頷いて離れて行きました。
この撮影スタイルは知りませんでしたが、空いている時なら有効かもしれません。
小さな博物館なので1時間弱の時間で名画をじっくり鑑賞できました。

外に出たら目の前にオープンカフェがあり、歩き通し・立ちっぱなしで疲れも感じ始めていたのでチャイを注文して休憩、結構汗もかいたので少しここで粘ろうと思ってチャイをカップに半分くらい残して涼んでいたら、ボーイさんにサッサと持っていかれてしまいました。
喫茶店でコーヒー1杯で粘りたい時に私がよく使う手段なのですが、トルコでは通用しないようです。
時間は12時半、意地悪な(?)喫茶店をあとにして旧市街の中心地に向かって歩き出しました。
表通りに出た後はほぼ真っ直ぐな道を歩きますので迷う心配はありません。
この大通りはカリシウス門からアヤソフィア方向に向かっていますので、ひょっとしたらメフメト2世が凱旋した道であったのかもしれません。
しばらく歩くとファティフ・ジャミィという大きなモスクがあります。
かつてコンスタンティヌス1世の墓があったとされる場所で、オスマン帝国支配になった直後の1470年にモスクが建てられたものですが、1766年に地震で倒壊しその後建て替えられたとネットの記事にありました。
このモスクの敷地の一角をコンスタンティヌスの城壁が横切っていたはずなのですが遺跡を確認することはできず、先を急ぐのでモスクの外観の写真撮影だけでパスしました。

ファティフ・ジャミィの横の裏道を真っ直ぐ進むとファティフ公園に出て、ヴァレンス水道橋を真下から見ることが出来ます。
この橋はコンスタンティヌス1世の弟であるヴァレンス皇帝によって378年に建設され、ファティフとエミノニュという2つの丘の間1kmに架けられたもの、現在はそのうちの800mが残っています。
地面との高低差によって1階ないし2階建てとなっており高さは最大20m、最後の補修は17世紀の末といわれますがよくぞ倒れずに残っているものと感心されられてしまいました。
ファティフ・ジャミィ ヴァレンス水道橋 アタチュルク大通りを横切る水道橋

次の目的地はシェフザーデ・ジャミィ、このモスクは1548年にミマール・スィナンが初めて手掛けたモスクで、後の大型モスク建築の見本となったものだそうです。
中にも入ってみましたが均整の取れた構造、品格漂う内装は見事です。
建物入口にあった温度計は18℃を示しており、相変わらずの曇天ですが歩くには格好の気温です。
モスクの一角に小さなお堂があり、足場が組まれて修復作業中でしたが古そうな建物なので写真を撮っていたら大工さんが気がついて「日本人か」と聞いてきて「私の写真も撮ってくれ」という仕草をします。
ピントを合わせている間に奥にいた別の大工さんも出てきて肩を組んでポーズを取ってくれました。
ポラロイドカメラではないので写した写真を渡せるわけではないし、「撮ってくれ」ではなくて「記念に撮っていきなさい」ということだったのかもしれません。
ここでもトルコ人の人懐こさ、親日感情に出会うことができました。
シェフザーデ・ジャミィ 〃 説教壇
〃 落ち着いた内部装飾 〃 もう一段古そうなお堂 親日的な大工さん

ここからまた表通りに戻ればよかったのにショートカットを狙って裏路地に入ったら見事に方向が分からなくなってしまいました。
近くにいた子供たちにスレイマニエ・モスクの載っている地図を見せたら方角を教えてくれましたが、上り坂の方向なので目印になるモスクのミナレットが見えてきません。
幸い(?)駐車違反の車をレッカー車で運ぼうとしている警官がいましたので詳しく教えてもらえ、ようやく裏路地から脱出できてスレイマニエ・モスクに辿り着けました。
このモスクはスレイマニエ1世の命によってミマール・スィナンが設計、7年の歳月をかけて1557年に完成したもので、オスマン建築の最高傑作ともイスタンブールで最も美しいモスクとも言われています。
礼拝堂の面積3,400u、ドームの直径27.5m、高さ53mはいずれもブルー・モスクを上回る大きさで、しかも小高い丘の上に君臨していますので金角湾からの景観も素晴らしく、ブルー・モスクより評価が高いという説もあるそうです。
内装はブルー・モスクと比べるとドームを支える4本の巨大な柱や壁の装飾は控えめですが、大理石造りの説教壇やミフラーブはここも立派ですし中央の大ドームは32の窓で採光を確保、広々とした空間は心を和ませてくれました。
このモスクは神学校や商店までも備えた複合施設になっていて、これらを含めた規模としてはイスタンブール最大のモスクでもあるそうです。
敷地内にはスレイマン1世ほか多くの皇族やスィナンの墓もあるのですが、残念なことに修復中なのかもともと立ち入り禁止なのか、中に入って見ることは出来ませんでした。
スレイマニエ・モスク 外観 〃 内部 〃 ドーム
〃 ドームの天井装飾 〃 墓廟 ガラタ広場からのスレイマニエ・モスク

スレイマニエ・モスクの位置は標高60m、金角湾まで直線距離にして約500mの急坂を下り、途中の目印になるメフメト・アリ・ジャミィという小さなモスクを右手に見て商店街を進んで行くとリュステム・パシャ・ジャミィに行き当たります。
このモスクはゴミゴミした商店街の一角でしかも1階が商店になっていますので入口が見つけにくく、事前に入口の場所と形状を調べておかなかったら通り過ぎてしまいかねません。
このモスクもスィナンの設計によって1561年に建立されたもの、イズニックタイルで覆われた内外装が有名で「タイルの宝石箱」とも呼ばれています。
日本のツアーでここを訪れる企画は殆どありませんが建材に興味のある人には必見のモスクです。
然して大きくない建物ですが、様々な模様のタイルが壁に敷き詰められていて見飽きることがありません。
フランス人のツアーの後ろについていたらいくつかのタイルの前では長々とガイドが説明をしていましたからそれぞれに由緒なり製法の謂れがあるのでしょう。
リュステム・パシャ・ジャミィ 〃 内部 〃 2階回廊
〃 建物の内外を飾るイズニックタイルの一部

モスク前の商店街をシルケジ駅方向に歩いて行くと、グランドバザールに次ぐ市場であるエジプシャンバザールの裏手に出ます。
この市場は生鮮食品や香料、お茶など日用品を中心とした庶民的な市場ですが、例によって素通りしてガラタ橋正面のエミノニュ広場に出ました。
広場の一角にはイェニ・ジャミィがありますが、別名「鳩のモスク」と言われるとおり無数の鳩が屋根にもテラスにも群がっています。
中央のドームは直径17.5mとやや小振りですが内部はここもイズニックタイルの装飾やステンドグラスの明かり取り、一部金箔を施した内壁などなかなかきれいなモスクでした。
この建物は1663年に完成しましたが、その後本格的なモスク建築は無いといわれています。
エジプシャンバザール 〃 正門 イェニ・ジャミィ
〃 テラスに集まるハトの群れ 〃 内部 〃 豪華な金箔装飾

地下道を通って金角湾に面した広場に出ると目の前にガラタ橋があります。
時計は17時、本当はこの橋を渡って新市街側のガラタ塔(展望台から旧市街やボスフォラス海峡を一望できます)に行ってみたかったのですが、待ち合わせ時間ギリギリになりそうだったので自重することにしました。
この橋は金角湾の上に架かる2重構造の橋で全長700m、1845年に最初の木造の橋が架けられその後1902年に2重の橋になり、さらに1992年に現在の橋に建て替えられたものですが、橋の上はトラムと車が走り、歩道には釣り糸を垂れる人が大勢いてこの橋の風物詩にもなっています。
また、1階部分はレストランや喫茶店が並び、多くの人が行き来していました。
旧市街側の橋のたもとには派手な装飾を施した小船が何艘も停泊していて、名物の「さばサンド」(金角湾で獲れたさばを焼いてたまねぎと一緒にパンに挟んだもの)を船上で焼いて売っています。
投稿旅行記などを読むと「美味しいので絶対食べなければ」と薦めている記事が多いのですが、さばは生焼けだったら恐いしここまで来たら最後まで胃腸は大事にしたいと匂いだけで我慢しました。
さばサンド以外にも焼き栗、焼きトウモロコシ、シミット、ドンドルマ(トルコ名物の伸びるアイスクリーム)などの屋台がたくさん出ていて、観光客だけでなく地元の人たちも買い食いを楽しんでいます。
多分ここは交通の要所というだけでなく市民の憩いの場になっているのでしょう。
ガラタ橋 金角湾対岸 新市街とガラタ塔  さばサンドを売る小船

これで自由行動の観光予定は無事終了、昨日のアヤソフィアから今日のイェニ・ジャミィまで18ものモスクを見たことになります(現博物館や入場せず写真撮影のみだったものも含みます)が地図で確認するとまだホンの一部、「トルコでは学校よりモスクの数のほうが多い」という記事がありましたがどうやら間違いなさそうです。
指定された待ち合わせ場所でバスを待っていたら、客待ちをしていたタクシーの運転手に話しかけられました。
向こうもたどたどしい英語なので気が楽、「カッパドキアを見てきた」、「イスタンブールは素晴らしい町だ」などと他愛のない会話でここでも“日土友好外交”に貢献です。
待ち合わせ時間の18時になったら添乗員さんがひとりで現れました。
大渋滞でオプショナルツアーもグランドバザール観光も時間がかかり、待ち合わせ時間に30分も遅れそうなので先に来てくれたのだそうです。
10分ならともかく30分も遅れたら「置いていかれたのでは」とパニックになるところでした。
携帯電話を持っていれば良かったのですが、私は普段も殆ど持ち歩かない“化石人間”ですから、まして海外旅行には持って行きません。
「集合予定の30分前に公衆電話から連絡を貰って互いの状況を確認しあうようにしておけばよかったですね」と添乗員さんが言っていましたがそのとおり、私ひとりが離団したために添乗員さんに余分な面倒をかけてしまいました。

18時半ピッタリにバスが迎えに来てくれて無事合流、金角湾沿いの海が見えるレストランでトルコ最後の夕食、そして一路空港へ向かいました。
関西空港行きTK46便は定刻(23;50)より10分遅れの0時ちょうどに出発。
イスタンブール上空は雲ひとつ無く、今日1日歩き回った街の夜景を眼下に見ながら帰国の途に。
万歩計の歩数は、朝の散歩11,000+団体行動2,000+自由行動29,800=42,800歩!
間違いなく1日の歩数としては生涯最高記録です。
離陸後2時間ほどで夕食、その後は歩き疲れもあるし時間は真夜中過ぎだしということでグッスリ熟睡できました。
北京上空から東シナ海にかけては気流が悪くかなり揺れましたが、この気流が黄砂を運んでくるのでしょう。
その気流の悪さで2回目の食事サービス(日本時間の昼食)が抜けてしまいましたが致し方のないところです。
関西空港到着は定刻(日本時間16;55)に35分遅れの17;25、スーツケースも無事回収し大変お世話になった添乗員さんと旅行中ずっと親しくお付き合いいただいた7人のメンバーにご挨拶して家路につきました。

(珍しくちょっと辛口の感想)
今回の旅行は少人数参加に目を奪われてつい申し込みをしたというわりにはここまでに書いたとおり大変充実した旅行であったことは事実なのですが、一方で貧弱な小型バス使用(ワーゲン製で長距離走行用に馬力はあるものの、観光バスではなくて装備はいわば旅館の送迎バス並み)という少人数ゆえの憂き目をみることになってしまったことは大変残念でした。
ツアー客用には10人分の座席(うちひとつは実質補助席)しかなくてそこに8人が座ると手持ちの荷物を置くスペースすら無いギュウ詰め状態、座席自体が狭い上にクッションも固くて乗り心地は最悪です。
天井が低くて荷物棚も無いのでスーツケース以外の手荷物は膝か狭い足元に置くしかなく、布製のショルダーバッグは旅行中にドロドロ、ボロボロになってしまいました。
大型観光バスなら運転手さんがクーラーボックスで冷やしたミネラルウオーターのボトルを0.5〜1ドル程度で常備してくれていますが、小さなバスではその設備も無いので毎日飲料水の確保に神経を使わなくてはなりません。
本来20人以上で催行のツアーですから8人では多分大幅な採算割れ、慌ててでき得る限りのコスト削減を図ったのでしょうか。
でも、こんなことだと「それでは食事も質を落としたのでは?」とか「ホテルも同一グレード中の最安値ホテルに無条件にしているのでは?(偶然かどうか4つのホテルのうち3つがパンフレット記載の例と違うホテルでした)」と勘ぐりたくもなってしまいます。
我々のツアーと同じ旅行会社グループの首都圏発のツアーに途中で出会ったら、そちらも同じ8人参加で旅行代金は寧ろ関西発より割安なのにちゃんと大型観光バスを使用していたのでショックが倍加してしまいました。
確かに私企業としてコスト削減努力は大切ですし、パンフレットには「参加人数によってはミニバスもあり得る」と書かれていますので文句は言えないのですがそれにしても程度問題であり、せめて中型“観光”バスは用意して欲しかったところです。
小型バスだったことによる僅かな利点は、小回りが効くので目的地の近くまで乗り入れられたとか、追い抜き走行がスムーズで多少観光時間を稼げたか、ということぐらいだったでしょうか。
私はいつも一人参加なので、これまでは極力人数の少ないツアーをわざわざ選んできたのですが、今回のようなことが寧ろ旅行会社としては当然なのだとすると、あまりにも参加人員が少ない場合は避けたほうが無難なのかもしれませんね。

バスの問題以外でも、ギョレメ野外博物館やアヤソフィアでの観光時間が足りなかった(いずれもホテルへの到着時間が早かっただけにもう少し時間を取ってくれても良かったのにと思ってしまいます。ヨーロッパ方面は日本と比べると労働管理がうるさいので現地ガイドや運転手さんの勤務時間制限でもあったのでしょうかね)など、これまでの海外旅行と比べると不満な点が少し多かったように思いました。


ただし一方で、添乗員さんの好意でカッパドキアやイスタンブールの夜の町の散策が出来たとか、最終日にはこれまた特別な配慮で途中離団を認めてもらって当初予定以上の自由時間を取ることが出来た、お陰でカーリエ博物館、数多くのモスク、遺跡を堪能できた、さらには少人数かつお世辞抜きに紳士淑女ばかりの良きツアー仲間に恵まれて最初からまるで家族旅行のような雰囲気で旅行を楽しめた、心配していた治安面(特に単独行動時)も全く不安を感じること無く寧ろ随所で「日土親善場面」に出会えた等々、差引すれば上記程度の不満は“高が知れたもの”、やはりはるかにプラス面のほうが大きい旅行だったということは言えそうです。

蛇足ながら、「海外旅行傘ささず記録」は危うく中断するところでしたが、今回も幸運に恵まれて最初から61日連続と記録更新ができました。

  
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