3日目(続き) 〜レオン観光(明朝の散策を含む)

サラマンカを出発してから約200km、途中1回のトイレ休憩を挟み14;30にレオンに到着しました。
<レオン>
ローマ時代の紀元前1世紀に建設された町で、914年にはレオン王国の首都になった。
サンティアゴに向かう巡礼路のメインルート「フランスの道」の途中に位置し、フランス寄りにあるブルゴス(スペインの英雄エル・シドの生誕地)と並ぶ巡礼路の重要ポイントとなっている。

先に市内のレストランで遅い昼食を摂ってから約2時間弱の徒歩観光となりました。
最初は「カテドラル(レオン大聖堂)」、1280年に着工し、完成したのは15世紀とされています。
フランスの「ランス大聖堂」の影響を受けたゴシック建築教会の傑作で、「ブルゴス大聖堂(1221年着工〜14世紀完成)」、「トレド大聖堂(1226年着工〜15世紀完成)」と並んで“スペインの3大ゴシック建築教会”とされています。
「セビージャ大聖堂(1401年着工〜16世紀完成)」のほうが建物の規模としては大きいはずですが、これは時期が少し新しくてゴシックに加えルネサンス様式が入っているので除外されているのでしょう。
この聖堂はステンドグラスの素晴らしさが特に有名で、その総面積は1,800uに及び世界最大級と言われています。
バラ窓は西側の正面と南北両翼廊の3か所に設置されていますが、13世紀の作品として残っている西側の直径8mの大窓が一番の見どころで、中心に幼いキリストを抱いた聖母マリア、その周りに12使徒、さらにその外側に二重の模様を施すという図柄になっています。
また、北側のバラ窓は旧約聖書、南側は新約聖書を題材とした図柄だそうです。
鐘楼については北側が13世紀建築で高さ65m、南側が15世紀、68mとなっていて、デザインも不統一です。
西の正面扉は木製の3連式になっていて、中央の扉の柱には「微笑のマリア」と呼ばれる彫像が飾られていますがこれはレプリカで、13世紀制作の本物は聖堂内部に置かれていました。
上部のティンパヌムには「最後の審判」のレリーフ、中央にキリスト、左側が天国、右側が地獄を描いています。
建物に入るのはその右側の扉で、このティンパヌムの装飾は「東方三博士の礼拝」と「キリストの降誕」です。
(左側の扉の装飾は「マリアの戴冠」だったようですが見逃しました)
カテドラル 正面中央扉 入館用扉の装飾

聖堂の内部に入ると壁よりも窓のほうが面積が広いのではと思わせるほど、前後左右にステンドグラスの窓が目に入ってきて圧巻です。
私の撮影技術では聖堂内全体を写そうとするとステンドグラスが滲んでしまって絵にならず、その迫力を持ち帰れないのが残念です。
ステンドグラスの図柄は宗教関連だけでなく草花などを題材にしたものも多く見られます。
主祭壇はエンリケ・デ・アルフェにより1519年に作られたもので、レオンの司教であった聖フロラインが祀られており、その聖遺物を納めた銀製の棺が中央に置かれていました。
祭壇後方を飾る衝立の板絵は15世紀ニコラス・フランセス作の「司教の生涯」、金箔の豪華な作品です。
聖堂の両壁に沿ってはいくつもの礼拝堂があって彫刻や宗教画が飾られていますが、その中に妊婦姿のマリアという珍しい立像や、最初のレオン国王オルドーニュ2世(在位914-924年)の墓などがあります。
また、聖堂の中央部分にある聖歌隊席は胡桃材を使った15世紀の作品で、聖人や町の有力者などの人物像が数多く彫り込まれた大変風格のある立派なものになっています。
聖堂に付属している回廊は前述のフランセスやファン・デ・バダホス(後述の「パラドール・デ・レオン」を作った人物の父親)が制作に携わったもので、ソロモンとシバの女王とかぺドロその他聖職者など彫像が並べられていたり、壁にフレスコ画が残っていたりなかなかの見応えがありました。
ステンドグラスの一例 (左端が西正面バラ窓)
主祭壇 同 衝立 微笑のマリア 妊婦姿のマリア
オルドーニョ2世の墓 聖歌隊席 回廊

「カテドラル」から400mほど西に向かったところに「サント・ドミンゴ広場」があります。
ここで目を引くのが「カサ・デ・ロス・ボティネス」、スペインの誇る建築家アントニ・ガウディ(1852-1926年 サクラダ・ファミリアやグエル公園などバルセロナにある彼の作品群は世界遺産に登録されています)が繊維商人の事務所兼居宅として1894年に建築した斬新なデザインの建物です。
バルセロナの作品と比べるとまだ落ち着いた外観ですが、正面玄関の上にはガウディの親友であり協力者でもあった彫刻家ロレンソ・マタマラ作の「聖ジョージ(3世紀の軍人でイングランドの守護聖人)とドラゴン」の大きな彫像が取り付けられてます。
建物の用途などから考えると違和感を覚えますが、多分何かエピソードがあったのでしょう。
建物の前にはベンチに座ったガウディのブロンズ像があり、観光客が隣に腰かけて写真撮影に興じていました。

隣接する「グスマネス宮殿」は1559年から1566年にかけて既述のロドリーゴ・オンタニョンが建設したもので、現在は県議会庁舎になっています。
カサ・デ・ロス・ボティネスと聖ジョージの像 ガウディ像 グスマネス宮殿

本日最後の観光は「サン・イシドロ教会」、1063年セビージャ(=セビリア)の大司教聖イシドロに捧げられたもので、レオン王国最初のロマネスク様式教会と言われています。
建物の左右に扉があって、左側の「子羊の門」はティンパヌムに「アブラハムによるイサクの犠牲(旧約聖書)」のレリーフ、聖書からの題材がこういう場所に描かれた初めての例なのだそうです。
門の左右にある2体の彫像は左が聖イシドロ(右は不明)、そしてファサード最上部には騎乗の聖イシドロが飾られています。
建物に向かって右側の「免罪の門」は「子羊の門」と比べると装飾が簡単ですが左にパウロ、右にペテロの彫像、ティンパヌムには「キリストの降架」が描かれています。
内部は大聖堂を見た直後なので小振りに見えますが、主祭壇には聖イシドロの聖遺物を納めた銀製の聖櫃と16世紀の画家ロレンソ・デ・アビラ(1507-1570年)の作品である金貼りの24面の板絵を嵌め込んだ衝立が置かれています。

教会付属の博物館は歴代レオン王国国王の霊廟で、天井一面に描かれた12世紀のフレスコ画は“ロマネスク美術の傑作”と言われ、保存状態も良くてなかなか見応えがあります。
聖書にある様々な場面以外に、12ヵ月の農業カレンダーなども描かれていて当時の知恵が偲ばれます。
回廊には7世紀の作と言われる風見鶏(鐘楼の上に取り付けるもの)や11世紀の鐘などが置かれていました。
このほか宝物室には「聖ウラカの聖杯」とか前述エンリケ・デ・アルフェ作の十字架なども展示されていたはずですが、このツアーでは案内されなかったようです。
博物館は写真撮影が禁止されているので記録が残せないのが残念なところです。
サン・イシドロ教会 子羊の門 同 騎乗の聖イシドロ
免罪の門 主祭壇の衝立 聖イシドロの聖櫃


(夕方の市街散策)
スペインは夕食時間が遅く、今日の場合は20時半からということなので、部屋に荷物を置いて1時間ほど市街散策に出かけました。
最初に訪れたのはホテルの北東方向約1kmのところにある「サン・ファン・サン・ペテロ教会」で、20段ほどの階段を登った上に建てられています。
左右対称になった端正な佇まい、中に入ってみると比較的質素な祭壇には十字架のキリスト、脇の礼拝堂には18枚の板絵の衝立と、その中央に聖母マリアの彫像がありました。
マリアの表情が素晴らしく、観光ルートには入っていないような小さな教会ですがなかなか見応えがあります。
帰国後調べたら、レオンの東20kmにあるサンタ・オハラ・デ・エスロンサの町にあった修道院が1836年に破綻してその建物がオークションで切り売りされ、これを惜しんだレオンの司教ルイス・ヘルナンデスの尽力で20世紀半ばになって当時のルネサンス様式のファサードを再現した教会が建てられたということのようです(スペイン語のWikipediaを自動翻訳機能で直訳したものしか資料が見当たらなかったので正確かどうかは分かりません)。
サン・ファン・サン・ペテロ教会と主祭壇 同 衝立 同 マリア像 ステンドグラス

次に向かったのはFEVE(スペイン北西部を主な営業地盤とする国営狭軌鉄道)のレオン駅。
マドリードなどに向かう本来のレオン駅は別の場所にあり、FEVEの駅は終着駅なのに片田舎の有人駅といった風情で、構内には列車も駅員も見当たりませんでした。
駅を後に東方向に歩いて行くと、旧市街の一部に残っているローマの城壁(とは言ってもその後幾たびの戦禍に遭っており、現存しているのは11世紀に修復・再建されたものらしい)に辿り着きました。
アビラで見受けられたのと同じような高さ10m以上もある大きな堡塁が並んでいて威圧感充分でした。
FEVEのレオン駅 ローマの城壁 同 北の門


(翌朝の市街散策)
まだ真っ暗な中を7時半から9時まで散策に出かけました。
昨日と逆方向に歩き、市内を流れるベルネスガ川を渡って国鉄レオン駅を目指します。
道路には全く人影が無く、暴漢に襲われないよう何度も後ろを振り返りながら歩かなくてはなりません。
ガイドブックにも載っていないのでよく分からなかったのですが、駅には建物が2つあって2階建ての立派な方が多分長距離列車用駅舎、はす向かいにある新しいけれどスーパーかコンビニみたいな安っぽい建物が近距離用駅舎となっているようです。
構内の入線列車も乗客も駅員も見えず、夏時間なので始発にまだ間があったようです。

駅から左折、約1km歩くと昨日来た「サント・ドミンゴ広場」に出ます。
「カサ・デ・ロス・ボティネス」の真向かいには「サン・マルセロ教会」、レオンの守護聖人である聖マルセロに捧げられた10世紀建立の建物で、レオン最古の教会と言われています。
教会の裏側には「ayuntamiento de Leon(=レオン市庁舎)」という名前で立派なファサードを持った建物がありましたが、市庁舎というにはいかにも小さいので分局のようなものだったのかもしれません。
レオン駅 長距離列車用駅舎? サン・マルセロ教会 市庁舎 分局?

そのまま裏道を歩いて行くと集合市場の建物、店員さんたちが忙しそうに開店準備をしていました。
その横にカギ型の長屋で真ん中部分は普通の住宅風、両側部分が由緒ありげな古めかしい構えという変わった建物がありましたが、「コンデ・ルナ宮」という名前の14世紀の貴族の宮殿で、ファサード付きの玄関部分は14世紀、大きなレンガを積み上げたような風変わりな壁装飾の塔は16世紀のものです。

細い路地に面してひっそりと佇んでいたのは「サン・サルバドール教会」、これも10世紀建立の古い教会です。
その先には縦横60×50mの「マヨール広場」、サラマンカの同名の広場と比べると1/2くらいの大きさですが、17世紀に作られたということなのでサラマンカのものより歴史が古いとういうことになります。
薄明るくなった広場には生鮮食料品や雑貨類を売る商店がテントを連ねており、買い物客の姿も見え始めていました。
表通りに出ると昨日観光した「カテドラル」、ようやく東の空が白みかかった中に浮かび上がる聖堂を眺めてホテルへの帰路に着きました。
コンデ・ルナ宮 サン・サルバドール教会 マヨール広場

宿泊ホテルの「パラドール・レオン」は歴史が古く、大元は12世紀のサンティアゴ巡礼者の救護施設、その後16世紀にサンティアゴ騎士団の修道院(サン・マルコス修道院)として建て替えが始まって18世紀に完成したのが現在の建物です。
1836年に修道院としての役割を終えた後、学校、刑務所、兵舎など様々な用途で使用され、1965年に今のホテルとして開業されました。
1541年建立の「サン・マルコス教会」と1869年開館の美術館を併設し、ホテルと教会を合わせた建物の横幅は100mにも及ぶ巨大な施設です。
正面のファサードは16〜18世紀にプラテレスコ様式で作られた立派なもので、騎乗の聖ヤコブ、レオン王国の紋章、サンティアゴ騎士団の十字架などの彫刻で飾られ、また、横壁一帯には歴史上の人物やサンティアゴのシンボルである貝の彫刻が規則正しく彫り込まれ、建物に威厳を与えています。
内部は分厚い壁、立派な絨毯、絵画、調度品など重厚感いっぱい、中庭を囲む柱廊には古めかしい石像がたくさん並んでいてこれだけでも見る価値は充分です。
スペインにある93のパラドール(古城、宮殿、修道院などを改装した国営高級ホテル)の中で最大規模を誇り、5つ星はレオンとサンティアゴの2か所だけ、宿泊料金はサンティアゴに次いで2番目の高さです。
もっとも、我がツアーがあてがわれた部屋は本館ではなくて後年にホテル用に付け足された新館、多分100ユーロは違う料金差があるでしょうからツアーの予算としてはやむを得ないところでしょう。
そうはいってもクイーンサイズのツインベッドが備えられたそれなりに高級感のある部屋ですし、館内施設は自由に見て回れますから「パラドールに泊まった」という満足感は充分味わえます。
ドアの鍵も真鍮製のズシリと重くて大きいもの、まさか刑務所時代のものではないでしょうが、これも風格を感じさせる手段なのでしょう。

付属の教会にも自由に入れましたが、主祭壇には大きな衝立があり、上にキリスト、下にマリア、その間には12人の肖像(12使徒?)の板絵が描かれ、壁には無数の貝の彫り物が施されていて、チュリゲラ様式みたいな華やかさは無い代わりに落ち着いた厳かな雰囲気を醸し出していました。
パラドール・レオン  同 ファサードの装飾 同 ライトアップ
サン・マルコス教会 同 主祭壇 同 キリスト像 同 マリア像

ホテルのレストランでの夕食はさすがに立派で、スペイン特産のイベリコ豚の串焼きがメインでワインはフリー、20時半からたっぷり2時間かけて優雅なディナーを楽しみました。

 本日の万歩計歩数 17,900歩
  
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